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【連載小説】聖ポトロの彷徨(第22回)

75日目

あと1週間しかない。あと1カーマ以内に、私がその身の振り方を決めてしまわなければ、この楽園はノーラともども、跡形もなく消滅してしまう。

もう完全にチェックメイトといえる。これだけの条件を揃えられたら、私の取り得る選択肢など、実質一つしかないではないか。

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やがて起こる小惑星の衝突により、この海の惑星に新しく大陸が生まれたタイミングで、冷凍保存しておいた私の肉体を細胞単位で分解し、それぞれの細胞に人工的な知能の要素を与え、単細胞生物に改造して増殖させ、惑星にばら撒く・・・

この惑星の生態系再生計画、前任者のそれとは異なるが、要するに私にも『ポトロ』になれと言っている訳だ。

見返りは、この仮想世界での永住権、そしてハードウェアの物理的限界(理論上は22億4千万年程度だそうだ)までの生存権だ。土地の景観に飽きたら、何度でも作り直してよいという条件まで、私たちには提示されている。

もし私がこの申し出を断ったら、私はもはや助かる見込のない、あの瀕死の肉体に意識を戻され、ここでの生活の記憶を全て奪われた後、生きながらにして熱処理され、ロヌーヌの備蓄エネルギーになるという。おそらくその後ロヌーヌは、私以外の誰かを、再びゲートを通じてこの荒野に誘い込み、新たな肉体提供者を探すのだろう。

肉体を利用するために私の許可が必要なのは、提供される肉体が死体であっては困るという点と(私の肉体は今冷凍されているはずだが、死んではいないはずなのだ)、同意のないまま私の意識をこの仮想空間内に閉じ込めておくことは、自身の内部に不穏分子を抱え込むようなもので、内部崩壊を招く可能性があり大変危険な行為である、という点からなのだろう。

それに、前任者の書にあったような「覚悟」といった要素もあるのかもしれないが、私には分からない。

いずれにせよ、飴と鞭、好きなほうを取れといわれて、鞭を取るメリットなど、何処にもないではないか。

彼らは、そういう無茶苦茶な条件を提示してでも、とにかく私から肉体の提供を受けたいということだ。相手もかなり切羽詰っている状況であると言える。

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私は、先日の前任者との会話の内容を、前任者が帰った後にノーラにも手話と筆談で伝えた。

ノーラの正体については、さすがにかなり心が痛んだが、伝えないわけにはいかなかった。
彼女は終始真摯な面持ちで私の手の動きを見ていたが、私がノーラにその辺りを伝えている途中、私の手が小さく震えだしたのを見てとると、彼女は私の手の動きをさえぎり、自分の手でそっと包み込んでくれた。彼女も興奮していたのだろう、いつもよりその手は温かく、上気した彼女の指はふっくらと柔らかかった。

その温度が、感触が、私の感情の琴線を大きく揺らした。私はノーラの手を握り返し、ハの字に並ぶ困り眉のすぐ下で、不安げに私の顔を覗き込むその瞳を真っ直ぐに見つめ返す。

事実はどうあれ、これはノーラだ。間違いなく、私の愛しい人だ。人工知能が繰る自動人形であったとしても、私はこれを心から愛している。この生き物と暮らせるなら、私の体なぞ木っ端微塵に砕かれたって一向に構わない。

ましてや、この何でもできる、何でも揃う天国で、二人でだけで、ほぼ永遠に暮らせるのだ。毎日好きなだけ眠り、好きなだけ食べ、好きなだけ語り合い、好きなだけ遊び、好きなだけ愛し合う。これ以上の贅沢が望めるだろうか。もし万一、私が元通り五体満足の体で地球に送り返されることがあったとしても、この世界以上に幸福になれる場所がそこにあるだろうか。

前述の通り、まともに考えると、いや、まともに考えなくとも、私にはやはり選択肢が一つしかない。


『肉体をロヌーヌに提供し、ここでノーラと暮らす。』


これでいいじゃないか。

私は何を迷っているのだ。

悩む余地なんかないではないか。

だが、私の中の何かが、この選択に疑問を投げかけているのだ。


一体何が・・・?


地球人としてのプライドだろうか。それとも、肉体を失っても生き続けられることに対する恐怖や抵抗感なのだろうか。

否。
これらは、完全にゼロではないが、魅力的な玉虫色の選択を否定するだけの力を、私の中では持ち得ていない。

では、一体何だろうか・・・。






・・・そうか。

【記録終了】



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)