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【連載小説】聖ポトロの彷徨(最終回)

1702626262505日目

日没から2時間余りが経過した。黄色の月「ポソポ」は新月なのだが、残りの2つの月が両方とも満月、という珍しい暦の為に、今夜はかなり明るくなるはずであった。
やがて、地平線の向こう側から、ゆっくりと赤色の月「クリナリ」が昇り、はるか衛星から放たれるその緋色の光が、すでに天頂にある銀色の月「コントロ」の白銀色の光と混ざり合い融合し、街を薫り高い葡萄酒のような色合いに染め上げていく。

所々がキラキラと輝く、独特の装飾が施されたその街の建造物群は、どれもねじれた天然鉱物の結晶のような複雑なイメージでデザインされており、その左右非対称のデザインが、ある時は波打つビロードのように、またある時は揺らめく炎のようにと、今宵の光の競演をさらに複雑なものに仕立て上げている。

円形に造られた街の中央に立つ、ひときわ高い塔。周囲の建物よりさらに複雑かつ混沌とした装飾を施されたその白い尖塔は、この惑星の全ての生命の創造主とされる『コンマ・ロッガ』を崇拝する宗教『ポト・ロ』教のシンボルである。
この塔を中心とする建造物群は、大司教の住まう『ノラー大教会』を含めて、ポト・ロ教の総本山として機能している。老若男女を問わず、この宗教は今や惑星中に信者を持ち、ゆえにその中心たるこの街には、その中でも特に熱心な信仰心を持つ者たちが、世界中から集まってくる。
信者らはこの場所で日夜、創造主へ感謝の祈りをささげ、自らの人生の修練の為に、修行に明け暮れて暮らしている。


今、時の大司教『ゼ・ニンシャー16世』は、塔の最上階にしつらえられた、特別な部屋へ向かっていた。
その部屋は直径5コロくらい(5コロ=約1.1メートル)の円形で、床には磨き上げられた白い大理石様のタイルが敷き詰められている。
白いフード付きローブを身に着けたその人は、コツ、コツ、と小気味良い靴音を立てながら、螺旋階段を登りこの部屋に現れた。
大司教は特別室の天井であり、かつ壁でもある、透明なドーム状のガラス越しに、今宵の美しい天体ショーを仰ぎ見た。そのショーは、白い特別室の床をも淡赤色に染め上げ、塔の頂上はまるで透明なバラの花園であるかのような趣であった。

大司教はフードを後ろにはだける。と、黄金色の眼に縦型の瞳、うろこに覆われた緑色の皮膚を持つ、その尊顔があらわになった。
彼は二つの月の光を顔のうろこに浴びながら、胸の前の空間に指で渦巻き模様を描き、手を合わせゆっくりとこうべをたれた。この宗教では日常的に行われている祈りの動作であるが、大司教のそれは実に安らかで優雅な印象を、信者たちに与えている。
さて、大司教がこうべをたれた先には、腰の高さほどの台座がしつらえてあり、その上には、黒くて四角い、ごつごつした印象の機械のようなものが安置されていた。大司教は再びコツコツと音を立てその物体に歩み寄る。そして、その『御神体』をそっと、光沢のあるうろこで覆われた両手で掴み上げた。

御神体は、ポト・ロ教の教祖が神から直接授かったものと伝えられ、その中にはなんと、創造主からのメッセージが収められているという。
御神体についての教義は全ての信者が知るところであるが、その実物を目にし、このように手を触れることができるのは、この星で大司教その人のみである。
大司教は片手にすっぽりと納まるその物体をにぎり、表面に沢山並んでいる突起物の一つを、もう一方の手のカギ爪で押し込む。この動作で、この不思議な装置から『創造主の声』が直接聞けるのである。

装置に付けられた小窓には【1702626262505日目】という文字が、光と共に浮かび上がっているが、この文字がどういう意味なのか、すでに知る者はない。
それと同じく、装置から流れ出てくる数多の言葉の意味を知る者も、もはや惑星上には存在しない。現大司教の知識をもってしても、その言葉の意味するところは全くと言っていいほど理解不能である。


装置から流れ出る創造主からの言葉は、時に冷静に、ある時は怒りに満ち、またある時は焦燥を以って語られ、そして後半は、安らぎと慈愛に満ちた口調で謳い上げられる。
大司教にとって、言語の意味は分からなくても、それらの音声がどんな音楽の調べよりも芸術的で、かつ魂を揺さぶる熱を帯びた音声であることは確かであった。

そして最後に、創造主は爆雷のような轟音の中、苦しそうに搾り出すような声で、こう言われた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「生きるということは・・・苦しむということだ。

だが、月の淡い光を受け、人知れず咲き、そのまま宵のうちに散っていく小さな野草の、何と美しいことか。

生命には、不思議な秘密がある。我々の苦しみにもまた、理由があるのだ。

それを知ることが、全ての生命の目的だとしたら・・・ 
それを知ることが、全ての始まりを終わらせる鍵なのだとしたら・・・。

生きよ、子供たち。秘密の扉を開くその日まで。

・・・生きよ。」

【生命反応消失】
【記録をロックします】

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

その意味は伝わらなくても、創造主の御心はしっかりと、この惑星に誕生した新しい知的生命体たちに伝わっている。大司教の頬、硬いうろこに伝う涙が、何よりその証拠である。
大司教たちは代々、満月の度にこの場所でこのメッセージを耳に入れ、その伝えるべき心を新たにするのである。

コツコツと大司教は部屋を後にした。一人の科学者の想いを内に秘めたコムログは、淡い二つの月の光を浴びながら、ただつややかに黒く輝いていた。

=糸冬=



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)