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3.11と東北旅を振り返る(前編)

東日本大震災から、ちょうど10年が経ちましたね。
もう10年なのか、まだ10年なのか。。

少しばかり思うことがあったので、書いてみたいと思います。

私が震災を経験したのは、中学生の時。
球技大会か何かの後で、教室で着替えをしている最中に揺れだした。
当時は東海地方に住んでいたため、震度3くらいだったか。
それまでに何度か地震が起きていたので、「またかー」位に思っていた。

しかし、校内放送で「被害状況を確認してください」とアナウンスされたり、先生が見回りに来たりと何やら慌ただしい。

そして、教室に来た国語?の先生が教室のテレビをつけると、あの津波の映像が流れていた。

ただただ衝撃。。唖然としたのを覚えている。

そして、その1週間後くらいに、父親から転勤で東京に引っ越すことを告げられた。

当時、福島第一原発事故の影響で、東北だけでなく、関東地方の放射線量がニュースでよく流れているのを見た。
加えて、東京が震度5強の揺れに襲われていたこともあり、東京に引っ越すことがとても不安だったことを思い出す。

時は変わって3年前の夏

私は1人で東北を自転車でめぐった。

東北を単純に旅したい、という思いはもちろんのこと。
ただ、震災から7年が経過したにもかかわらず、被災地を一度も訪れていなかったことに若干の後ろめたさがあったことが、東北旅を決めた一番のきっかけ。

栃木の宇都宮スタートで、ジグザグしながら北上。
山形市から仙台市に向かう途中にある笹谷峠を越える途中で大雨にやられてしまう。。ただでさえキツイ坂なのに。。

しんどくなってしまい、途中にあった峠の茶屋で雨宿りをしていた。

すると、店の中のおばちゃんが、入りなさい!、といって手招き。
タオルまで貸していただいた。

お言葉に甘えて少しばかり休ませてもらおうと思ったとき、

なんと、ラーメンと餅を出してくださった。
東北らしい強い訛りで、「困った人を見たら、放っておけないのよ」と。

こんなにも美味しかった料理を僕は知らない。
今でも思い出して涙がでてきそうになる。

そして、暇乞いをするときに、「峠を越えたら連絡しなさい!」と電話番号を書いた紙を渡してくれた。

無事に笹谷峠を制覇。
今までの土砂降りが嘘のように、、
山形市街が一望できる。
頑張ったご褒美かな。

なお、疲れすぎたのと到着が遅すぎたのとで、その日のうちにおばちゃんに連絡できず次の日になってしまった、、ごめんよお

また行きたいなあ、、
今度はちゃんとお金を払って、、

ちょっくら長くなってしまったので、今回はこのへんで。

それでは

おそまつ

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