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傷心の「牛女」/オカルト探偵・吉田悠軌の”女が怖い”

ここのところブームの様相をみせる「牛」にまつわる怪談。牛にまつわる「怖い女」といえば、「牛女」を取り上げずにはいられない。この怪もまた、一筋縄ではいかない複雑な歴史と背景をもっているのだ。

文=吉田悠軌 挿絵=森口裕二

クダンとは違う牛×人間の怪「牛女」

 今年2月には映画『牛首村』(監督・清水崇、東映)が公開、昨年末には東雅夫氏のクダン論集『クダン狩り』(編著・東雅夫、白澤社)が刊行と、”牛怪談”に注目が集まる今日このごろ。「女が怖い」と題する本連載では、「牛の首」でも「クダン」でもなく、「牛女」について取り上げよう。

 ここでいう「牛女」とは、兵庫県の西宮・芦屋にて囁かれていた、牛面人身の女性にまつわる怪談を指す。混同されがちな「クダン」(人面牛身の予言獣)と「牛女」とを区別すべきとは、東雅夫氏や、実話怪談集『新耳袋』の木原浩勝・中山市朗両氏が、それぞれ1990年代末から提唱しているとおり(※1)。

 もっとも有名な「牛女」は小松左京の小説『くだんのはは』(1968年)だろう。これが小松の完全創作でも内田百閒「件」のオマージュでもなく、実際に戦中戦後期に兵庫に流れていた噂ばなしをもとにしているのは明らかだ。

 次にわれわれになじみ深いのは、木原・中山両氏が『新耳袋』(扶桑社版は1990年)や『都市の穴』(2001年)にて何度か紹介している実話怪談。甲山・六甲山周辺の牛女目撃譚と、戦時の空襲や阪神大震災の後、芦屋・西宮にて牛女が目撃されたというエピソードだ。

 またこれは否定すべき噂なのだが、六甲山・鷲林寺の牛女伝説も有名ではある。当寺ホームページにて住職が執筆した「牛女伝説の真実」によれば、1980年代前半から、八大龍王を祀った洞窟に牛女が潜んでいるとの噂が流れた。県外からも若者が集まって騒ぎ立てるので、やむなく「“牛女”は残念ながら引越しされました」との看板を設置。しかし99年のテレビ番組(※2)で紹介されたことで、若者たちの肝試しが再燃し、たいへん迷惑したらしい。これに配慮してか(?)、近年は同境内でも洞窟ではなく弁天池が牛女の出現地とされがちだ。

 都市伝説本『夢で田中にふりむくな』(1996年)に紹介された話では、甲山の道路の真ん中をふさぐ「夫婦岩」という心霊スポットが舞台。ふざけて夫婦岩をバカにしたり蹴とばしたバイカーの若者たちが、「頭が牛、体は女、の牛女」に這うように追いかけられ、全員事故死してしまったという。夫婦岩をないがしろにした若者が祟りに遭うという、当地の定番怪談とドッキングしたかたちだ。ほぼ同じ話は『走るお婆さん』(1996年)でも報告されており、90年代初期にはあった噂のようだ。

 これら牛女はすべて牛面人身だが、A=肝試しの若者たちを猛スピードで追いかけるアクティブな「這う」系(鷲林寺、夫婦岩、弁天池の噂)と、B=赤い着物で直立する静かで哀しい「牛娘」系(「くだんのはは」『新耳袋』など)とに分類できる。

 A群は明らかに、暴走族・走り屋たちから広まった、道路を高速で追いかけてくるものの怪談の影響下にある。
 特に六甲山は「ターボばばあ」「首なしライダー」などの類似例も有名だ。若い女が両手足を使って激走する「這う」系は全国区の怪談だが、甲山・六甲山エリアにおいてはそれが「牛女」に変換されたのだろう。

 今回、より注目したいのはB群の方だ。『クダン狩り』の東氏との対談にて、クダン研究者・笹方政紀氏は「「牛女」ではなくて「牛娘」で展開するといろいろな話が引っかかってきます」と言及。どうも「牛娘」については昔から多くの話群があり、それが『くだんのはは』や『新耳袋』の怪談の下地となっているようだ。
 近年流行の「ウマ娘」ならぬ「牛娘」という訳だが……。これはただの冗談ではなく、ケンタウロス⇔ミノタウロスの違いさながら、明るく美的・知的・健康的な「ウマ娘」(人馬ミックス)と違い、「牛娘」(人牛ミックス)は陰にして屈折した悲劇的キャラクターになりがちなのだ。

 笹方氏は、見世物の演目としての「牛娘」が浸透した後、因果ものである「牛娘」の世間話が語られたのではと指摘する(※3)。明治以降に広まった食肉文化の影響で、精肉店の娘が、こうした噂の対象となったようだ。私が取材した中でも「戦時下の和歌山県海南市」「終戦直後の神戸市街」にて同様の噂が流れたとの報告があった。

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