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地域に「銭湯」が必要な理由

「梅の湯」と「鶴の湯」

東京での「地元」荒川区にある「梅の湯」。

ここはサウナがあり、水素風呂があり日替わりの熱湯風呂、ジェットバス、
おまけに露天風呂まであるので、サウナあとの外気浴までできてしまう。
これで500円。サウナに入っても入らなくても500円。

おじいさんからおっさん、お兄ちゃん、坊ちゃん嬢ちゃんで賑わっている。

釜石ですぐ近所にあった「鶴の湯」。
くっそ熱いお湯で有名で、ホントに熱湯の風呂。
いついっても空いてて、おじいさんしかいない。

で、鶴の湯はなくなった。

地域に「銭湯」が減ってきている

大隈塾出身で江東区でがんばってる高野はやとのnoteみたら、
「地域に『銭湯』と『お花見』が必要な理由」
というタイトルの文章があったので読んでみた。

江東区の銭湯が5年で24カ所から19カ所に減少。3密の避けるために銭湯の利用を控えたり、ウクライナ情勢で電気・ガス・水道代が上がり、銭湯の経営が厳しくなっている。この銭湯、「自宅と会社」「自宅と学校」以外の「第3の場所」として、地域コミュニティを再生する、活性化させる、そういった機能もございます。

https://note.com/takano_hayato38/n/n5185aeb79c71

銭湯は、地域コミュニティを活性化させる。
であれば、
銭湯は、住民を○○させる、もあるだろう。

リーダーシップ的にいえば、
「住民を市民化、倫理化させる」
ともいえる。
つまり、倫理性・市民性を身につける、ということ。

ここでいう「市民性」とは、

「コミュニティのメンバーなら、コミュニティが機能し続け、より良くなるように、他者と共同する責任がある」

『これからのリーダーシップ 基本・最新理論から実践事例まで』 堀尾志保、舘野泰一 日本能率協会マネジメントセンター 2020年 p187

シティズンシップかな。

家に風呂があっても「銭湯」は必要なのだ

もっと簡単にいえば、私(プライベート)と公(パブリック)との違い、
お家(内)と他所(外)との使い分けのマナーを知ること。

蛇口にお風呂セットを置いたままでお湯に浸かっていると、
ほかの人が身体を洗えないからやめましょうね、とか、
浴室から脱衣所に上がるときは、タオルで身体を拭いてから上がりましょうね、とか。

ここはお家じゃないんですよ、
みんなが使うお風呂なんですよ、と。
プライベートとパブリックとの違いを身体知として理解する。

だから、家に風呂があっても地域に銭湯は必要なのだ。

わたしたちには、
「コミュニティが機能し続け、より良くなるように、他者と共同する責任がある」
わけですよ。
それは子どもでもそうだし、おっさんでもそう。
それを銭湯では学べている。
銭湯が少なくなれば、そうしたシティズンシップを学ぶ機会も減ってくる。
これも「地域に『銭湯』が必要な理由」
のひとつじゃないかな、と思った。

そういえば『湯道』って映画あったな。