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時事無斎雑話(14) 苫小牧東港まで「夜」を歩く

 人のいるところはどこもネオンサインや街灯の光で照らし出され、本当の暗闇が身近でなくなってしまった今の時代、読者の皆さんの中で「夜」を歩いた経験のある人はどのくらいいるのでしょう。考えてみると私自身、人気のない夜の山あいを車で走ったり陸地から遠く離れた夜の海を航海したりすることは多いものの、灯り一つない屋外の闇の中に身一つでいた経験はそれほど多くありません。
 そんな中で、最近、久しぶりに「夜」を歩く経験をしたので報告したいと思います。歩いたのはJR日高線「浜厚真はまあつま」駅から苫小牧とまこまい東港のフェリーターミナルまで2キロほどの距離です。
 もともと意図してのことではありませんでした。まずはそうなった経緯から。
 秋も深い10月の末、敦賀発・苫小牧着のフェリーで車とともに北海道にやって来る母親を港まで迎えに行くことになりました。母親は北海道の道を知らないため、下船後、目的地までは私が車を運転していくことになります。まずは身一つで港まで行き、そこで午後8時半のフェリー到着を待たなければいけません。

苫小牧港周辺鉄道路線図。「みんなのフォトギャラリー」にも登録しています

 実は私自身もよく知らなかったのですが、同じ「苫小牧発着」のフェリーでも港は「苫小牧西港」と「苫小牧東港」の2つがあります。このうち「苫小牧西港」の方は人口17万の苫小牧市の中心部に近く、苫小牧駅からも4キロ程度の距離で、バスでもタクシーでも比較的簡単に行くことができます。
 問題は敦賀発のフェリーが着く「苫小牧東港」の方です。名前に「苫小牧」とついているものの、実際の所在地は苫小牧の東に隣接する厚真あつま町で、最寄り駅も苫小牧駅から2駅東側のJR日高本線・浜厚真駅になります。
 「たった2駅くらい」と思われるかもしれませんが、東京や大阪の2駅とはわけが違い、苫小牧駅から苫小牧東港までは25キロほどの距離で、間を走るバスもありません。タクシーで行こうものならとんでもない料金になるのが目に見えています。
 最寄り駅の浜厚真とその手前の勇払ゆうふつはどちらも無人駅で、駅前にタクシー乗り場もありません。ついでに言うとこの周辺は熊も出るため、日没の早いこの季節、夜の闇の中を徒歩で移動するのは避けたいところです。少し遠いものの、南千歳みなみちとせ駅から苫小牧東港への直通バスがあるので(料金は片道1000円少々)、それを利用することに決めました。
 というわけで当日、夕方の6時過ぎに南千歳駅に到着し、苫小牧東港行きが出るはずのバス停に向かいました。ところが予想に反して、既に客待ちをしているはずのバスは見えず、バスを待つ乗客の姿も見当たりません。おかしいなと思いつつバス停の時刻表を確認して愕然としました。ネットで調べた時間と出発時刻が違い、フェリー到着に間に合うバスは20分前に出てしまったようです。次のバスは4時間後。到着には間に合いません。
 動揺しつつもスマホで列車時刻表を調べたところ、このあと出る苫小牧行きの普通列車に乗り、苫小牧で日高本線・様似さまに行きの普通列車(注1)に乗り換えればフェリー到着前に浜厚真駅に着けることが分かりました。急いで駅に戻り、苫小牧行きの列車を待ちます。
 そのあと予定通り苫小牧駅で様似行き列車に乗り換え、浜厚真に向かいます。苫小牧の市街地を抜けると、そこはもう人家さえ稀な真っ暗な海沿いの原野で、ところどころに港や工場の灯りが固まって見える程度です。こんな中をフェリーターミナルまで徒歩でたどり着けるものなのか、不安が募ります。
 浜厚真駅到着は夜の7時過ぎ。10月の北海道では完全な夜で、月もまだ出ていません(注2)。下車したのは私一人で、もしかして駅前でタクシーの1台くらい客待ちをしてくれているかも、という期待も裏切られ、周囲に人家もない無人駅前の暗がりの中に独り取り残されます。
 いちおう星明かりもあり、ずっと遠くにフェリーターミナルの灯りも見えるため完全な闇ではありませんが、街灯もなく、辛うじて道とそれ以外の見分けがつく程度の、自分の足元さえよく見えない状態です。スマホは持っているものの、よりによってこの状況でバッテリー残量がわずかになってしまい、ライトを点けたり地図を確認したりしながら歩くことはできそうにありません。ともあれ、事前に調べた道の記憶を頼りに、線路沿いの道を港の方向に向かって歩き始めました。
 道路の脇はススキが生い茂る一面の荒れ地です。路肩がどこなのかが暗くてよく分からないため、取りあえず車に気をつけながら、道路の中央を歩き続けます。前述の通りこの辺りには熊も出るので、わざと大きな足音を立て、時々「シッ、シッ」と声を上げてこちらの存在を誇示します。むろん、むこうが最初からこちらを獲物と考えて襲いかかって来たなら助かりようがありませんが、少なくともあらかじめこちらの存在を示しておけば、出会い頭に顔を突き合わせてしまい、驚いて襲いかかってくる危険は軽減できるはずです。
 歩いていると、道路のすぐ脇、ほんの10メートルほど離れたススキの茂みの中から「キャーン」という長く甲高い声が聞こえてきました。おそらくキツネでしょう。それも私の姿に怯えて鳴いているとかではなさそうです。自分からは人間が見えていても人間には自分が見えていないことを確信しているかのような、自分が圧倒的に有利な立場にいることを理解した上でこちらを威嚇しているような、そんな鳴き方でした。
 そのまましばらく行くと、再びすぐ近くの道路脇で「キャーン」という声がします。別のキツネでしょうか。それとも、さっきのキツネがわざわざ追いかけてきて私をからかっているのでしょうか。キツネは基本的に縄張りを持つ単独行動の生き物なので、こんな近くに何頭ものキツネがいる可能性は低いように思います。おそらく後者なのでしょう。キツネは執念深いもののようです。もっともキツネの方では、落語「王子の狐」のように「人間の方がよっぽど執念深い」と思っているのかもしれませんが。
 なお、アイヌ民族の伝承では、日本(や中国・朝鮮半島)と同様に、キツネは人を化かすとされています(注3)。例えば狩りの獲物を持って夜の山道を里へと帰る途中、暗がりの中でキツネにずっと付きまとわれてあの声で鳴き続けられれば、確かに「キツネは魔物だ」という気にもなりそうです。

※参考図書として:萱野茂『アイヌの昔話』

 浜厚真駅とフェリーターミナルの間には川(厚真川)があり、途中で橋を渡ることになります。進むうち、橋は見えてきましたが、その向きが変です。自分が歩いている道はこの先で行き止まりになっていて、橋は海側にもう一本ある別の道につながっているように見えます。道を間違えたのかも――。だとしたら、この暗闇の中、引き返して正しい道を見つけられる自信はありません。
 不安に駆られながらも、本当にこの先が行き止まりなのか確かめようとまっすぐ歩いて行くと、道は前方でカーブしてそのまま橋につながっていました。あそこでパニックになって引き返したり「正しい道」に出ようと道から外れて藪の中を通り抜けようとしたりすれば、それこそ本当に道に迷っていたでしょう。実際にそういう目に遭った人が、後から「キツネに化かされた」と思い込んだのかもしれません。
 橋を渡っていると、今度は背後から「ぱたり、ぱたり」という足音が聞こえてきます。思わず後ろを振り返りますが誰もいません。そもそも浜厚真駅で下車したのは私一人で、他にフェリーターミナルに向かっている人間はいないはずです。一瞬ぎょっとしたものの、これは橋の欄干に反射した自分の足音がワンテンポ遅れて聞こえているのだと気付き、気を取り直して歩き続けます。しかしやはり気持ちの良いものではありません。山道を歩いていると背後から何者かの足音がついて来るという妖怪(または怪音現象)「べとべとさん」の正体はこれではなかったでしょうか。
 橋を渡り終えると背後の足音は聞こえなくなります。やがてトレーラーが並ぶ広い駐車場が目の前に現れ、その先にはフェリーターミナルの建物もありました。到着です。そのあと、予定通りにフェリーで到着した母を出迎え、目的地まで代わりに車を運転して、やたら気疲れした一日は終わります。
 距離にして2キロ弱、時間的にもおそらく30分に満たないものだったのでしょうが、久しぶりに「夜」の恐怖を感じた時間でした。古人が夜の闇を恐れた感覚が少しだけ分かったような気がします。


注1:現在、鵡川むかわ・様似間は不通で代替バスでの運行となっています。
注2:逆に日没の遅い5~7月ごろであれば、この時間でもまだ夕方の明るさだったはずです。それでもこの区間を歩くのはあまりお勧めしませんが。
注3:一方でタヌキについては人を化かす存在とは位置づけられていないようです。これは、やはりタヌキが生息する中国・朝鮮半島も同様で、人を化かす動物としてタヌキが重視されるのは、むしろ古くからの日本文化圏(本州・四国・九州)に特有のもののようです。

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