駅前のチェーン居酒屋の多さに疲弊する

今日はちょっくら畑の手入れをしに日帰り弾丸で八ヶ岳まで行ってきたのですが、月に1回行けるか行けないかというお世話の頻度なのに、無事に小松菜を収穫することができ、とても嬉しく思いました。この喜びをおすそ分けしようと思って急きょ実家に電話して、帰りに小松菜あげついでに一緒に食事をしようということになったのですが、地元の駅はチェーン店が多く、あんまり行きたい店がなくて困るね、という話になりました。私以外にも、駅前は大衆チェーン店しかなくて困ったことがある方は多いのではないでしょうか。

それでも地元に一件、私の祖母の代から利用しているおいしくてリーズナブルで庶民派の居酒屋があるので、そこに行こうということになりました。個人経営の飲食店でおそらく50年以上続いているところってなかなかないので、かなり貴重なお店だと思います。地元は再開発の進んでいるエリアなので、昔ながらの店もどんどん消え、新しいマンションが次々に立つ、昔の風景と今の風景が全く違うような、そんな場所。にもかかわらず残り続けているということは、それ相応の理由があるはずです。

横浜駅などその典型だなと思いますが、駅前は本当にチェーン店ばかりで、あんなに大きな駅なのに全然行きたいと思う店が見つからず、困ることがあります。雑居ビルっぽいお店はだいたい似たような大衆居酒屋が入っていますね。メニューとか看板とか見ただけで安っぽいお店だな、とわかってしまう感じ。ブラック企業として有名な会社もありますし、薄めたお酒にレトルト、冷凍食品でおいしくない。大学生くらいならまだしも、大人になってからも大衆居酒屋チェーンに行くっていうのはちょっとどうなの、と思ってしまいます。しかし、駅前の立地のいいところにはだいたいそういうお店がありますよね。賃料は高いはず、それでも安くお酒が飲める。それはなぜか。出される食べ物がただ同然、二束三文ということの大きな証拠ではないでしょうか。

今日私が行ったお店は、歴史が古いこともあってなじみの常連さんがたくさんいるようでした。店員さんもお客さんも顔なじみ、お友達。チェーン店の塩対応ではなく、人と人との交流が楽しめる場所。他の店ではなく「その店」に行きたいと思わせる魅力。個人店の強みはそこであり、歴史があるお店はたいていそのセオリーをしっかり押さえている気がします。

居酒屋に限らず、飲食店もお店もどこへ行ってもチェーン、チェーンです。多くの人が企業勤めをしなければならなくなった理由は、チェーン店の台頭により、自営業、個人店では店を回していくのが難しくなってしまったからです。例えば、ちょっと江戸時代の風景を想像で思い浮かべてみると、大企業がなくても個人商店でうまく社会が回っていたのではないかな、と感じます。いつの間にか経済の中心が大企業の提供する商品、価値、サービスになってしまったんですね。私は世の中全体が「脱大企業」していく必要を感じているので、個人で頑張っているお店を応援したいと思っています。日々利用する店についても、チェーン依存をなるべく脱したいと思っているところです。

ブラック強制労働、身体に悪いものばかりを提供する、おそらく何らかのグレーな不正をしているなど、チェーン店への疑念はぬぐいきれません。そういった経営をしていると、いまに痛い目に遭うことが予想されます。個人経営で心の通った交流の楽しめる、丁寧に作られた料理を頂けるお店がもっともっと輝けるような社会になると良いなぁと、今日改めて思いました。

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