「感謝と敬意」の出し惜しみをしていないか?

第2チャクラ、パートナーシップを見つめるシリーズ。昨日は家庭の土台は「パートナーシップ」にありの記事に、お互いにいかに「感謝と敬意」を持ち続けられるかが家族円満の秘訣だと書きました。しかし現実を振り返ってみると、なかなかそううまくはいかず、わかってはいるけどできないんだよなぁ、ということも多いのではないでしょうか。例に漏れず私もその傾向があったので気持ちはよくわかります。特に親しい人、家族やそれに匹敵するほど仲の良い友人や恋人に対して、なかなか素直に「感謝と敬意」を示せないという人はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

特に家族に対して「感謝と敬意」を表明するのって本当に恥ずかしいですよね。私も日頃の感謝をLINEで送ったり(軽い?)することは日々ありますし、瞑想中も家族に感謝し多幸を祈ったりはしていますが、それでもなかなか面と向かっては言いづらかったりします。結婚式の両親への手紙のコーナーが定番なのは、そういう場でもなければ直接伝えられないからというのもあるでしょうね。日頃から「感謝と敬意」を伝えることが習慣となっていれば、結婚式であんなに号泣することもないのではないかと思ったりもします。そう思うと、父の日、母の日、というのも、日頃言いづらい感謝の気持ちを言うための背中を押してくれるいい日ですよね。「今日は父の日だからね」みたいな感じで、照れくささを少し緩和できたりしますからね。

とはいえ、できることなら日常生活で「感謝と敬意」をうまく循環させていたいものです。この世のエネルギーは循環させてナンボの世界なので、滞っている、澱んでいるのが一番好ましくないことなんですよね。水は流れていればずっときれいなままですが、ひとたび溜まってしまうとどんどん澱んで汚くなってしまいます。使わないモノや本は処分しましょうとよく言うのも、エネルギーが滞ってしまうからですよね。「感謝と敬意」は「愛」であり、エネルギーそのものです。家庭内、その他人間関係を円滑に育むためには、「感謝と敬意」のエネルギーをこれでもかと循環させていけば良いんですよね。誰しも自分への不満や愚痴より「感謝と敬意」を伝えてもらった方が嬉しいに決まっていますし、伝えてくれた相手のことをもっと好きになると思います。不満と愚痴だらけの1年間と「感謝と敬意」に満ちた1年間の家庭生活、ちょっと想像しただけでそこに流れるエネルギーの差は歴然としていますよね。

「感謝と敬意」、出し惜しみしているなぁ、と気付くこともあると思います。私もたまに感じることがあります。それはなぜでしょうね?「愛」を出し惜しみしてしまうのはなぜか?この話はとても深くて、個人個人が「愛」をどのようなものと認識しているかが如実に出ます。「愛」は有限でしょうか、無限でしょうか。相手に「感謝と敬意」を示したら、自分の「愛」は減ってしまうように感じますか?自分ばかりが「感謝と敬意」を表明すると、自分の価値が下がる感じがしますか?負けた感じがしますか?この辺りを掘り下げると本当に深くて面白いです。その方の「愛」に関する思い込みや固定概念が垣間見えてきて、人間関係のパターンが見えてきます。

本当のことを言えば、「愛」は無限で、減るものではありません。しかし、今までこうして大人になるまで生きてくる間に、条件付けの愛を受けて育ってきてしまい、それがこの世の「愛」だと思ってしまったがゆえに、「愛」は有限だと「錯覚している」状態だということです。「愛」は有限だという固定概念が強いほど、不満と愚痴が多く満たされない人間関係になってしまい、「感謝と敬意」が循環しづらくなってしまうでしょう。「愛」を与えるか与えないかを、頭のエゴが計算してしまうのですね。損得勘定で考えてしまうということ。やはりエゴではなくハートを活性化させて生きていきたいものですね。年末年始、家族と過ごされる方も多いと思います。私自身も、家族や親しい人に「感謝と敬意」、伝えられているかどうか、我が身を振り返る時間にしたいと思います。

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