中身のないものを量産する資本主義

以前から書いているように、今のこの資本主義社会というのは必ず衰退していくし、これからの経済成長はあり得ないどころか、すべての人が弱者・貧困に向かっていくということは確実なように思います。あらゆる業界が斜陽化していて、これから先も絶対安泰な業界なんて一つもないように見えます。そのことがよくわかるなぁと思うのが、とにかくお金にしたいがために中身のないものや内容の薄いものが量産されている現状です。

私は大学生の頃は出版社に就職したいと思っていました。本を読んだり文章を書いたりするのが好きなので、大学生の単純脳でそういった就職先が良いと思うのは自然なことでした。前も書きましたが、今は本を出すハードルがものすごく低くなっていて、中身がどうこうということはあまり問われていないのかなと感じることが多いです。大衆の知性が低いということももちろんありますし、私にとっては中身がない・薄いと思うようなものでも、誰かにとっては有益ということもあるかもしれません。それにしても、そうやって中身のないものでも何でもいいからとにかく出して、ちょっとでもお金にしようということをやっていると、その出版社自体への信頼も下がることになるので結局はマイナスになるんじゃないかなと思ったりします。そして、本当に内容のあるものや人々の目を覚ますようなものが埋もれてしまい、その価値が正当に評価されないことにもつながりかねないと思います。

先日、久しぶりに会った友人にそんな話をしてみたら、その友人はアニメやゲーム業界に同じことを感じていたと言っていました。私はアニメ・ゲーム界隈は全くと言っていいほど無知なので知りませんでしたが、どの業界も同じなんだなぁとつくづく思いました。映画業界なども同じだと思います。同じような俳優・女優を起用した、漫画原作の実写版の乱発。なんでもいいから量産量産…。早く利益を出さなければならないという事情はわかるのですが、だからといって質の低いものをたくさん作ってどうするのでしょうか。どの業界においても、次世代の若手を育てようということにあまり関心がないのだなと思います。社会・人々がお金に逼迫するあまり、腰を据えて何かを作ろうとか、考えようという意識が希薄になり、文化・芸術の程度も下がっていくのだなぁと実感しました。

以前は私も漠然と本を出せたりしたらいいなぁと思っていたものですが、最近は、「一生に一冊くらい、人生の集大成的なものをまとめられたらいいかも」と思うようになりました。今もその過程みたいなものです。昨今は何事もすぐに結果を出すのが良いことだ的な思想がはびこっていて(昔からか)、じっくり取り組むとか、本当に質の良いものを練り上げるとか、能力・技術を積むといったことが割と軽視されがちなように思います。努力とか修行とか、そういった概念がスピリチュアル的な思想により軽んじられている傾向もあるかもしれません。なんでもインスタントな感じです。簡単に取れる民間資格、取ったらすぐにお金を取っていいですよ、みたいなものもたくさんありますしね。個人店がつぶれ、駅前はどこもチェーン店だらけなのも同じような現象かと思います。

こういった世の中の様子を見ていても、現行の資本主義の終わりの悪あがきみたいだなぁ、と思いますし、どこの業界も必死なのだということが伝わってきます。競争競争、少しでも利益を…と自我を肥大させていった結果、全員が弱者・貧困になるというのは今や笑い話ではありません。その時がすぐそこまで迫っているように思います。今後の社会の在り方について、弱者・貧困問題などについて、一人一人が自分事として考えていく必要があるのではないでしょうか。

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