仕事に人生を捧げる生き方への疑問

数年間に渡って「私の本当にやりたいことは何だろう?」とか「人生の目的って何だろう?」とか考えながら自分を見つめ直してきて、ようやく自分の中で「これ」というものが見えてきたような気がしています。これまでnoteでも何度も書いてきたように、「やりたいこと」というのはどこか遠くにあるわけではなくて、普段何も意識せずともやってしまうようなことにあると思っています。私の場合は文章を書くことや勉強することが大好きで、誰に言われなくても空いた時間があればついつい本を読んだりPCに向かったりしてしまいます。

やはり特に好きなのは勉強で、ご存知の通り、哲学・思想・宗教・精神世界・古代文明などに関することに興味津々です。ただ、こういったことがいくら好きでもなかなか職業や仕事には結びつきにくく、好きだけど落としどころがない、的な悩みをいつも抱えていました。やりたくない仕事で疲弊するのは嫌だけど、やりたいことは仕事にはなりにくいことだという葛藤が常にある感じです。ジャンルは違えど、こういった状況の方はとても多いのではないかと思います。

この問題を考えた時に思ったのが、私たち現代人は「仕事」というものを重要視しすぎているということでした。ここでいう「仕事」はお金を得るための仕事という意味です。いつでも頭の中が仕事のことでいっぱいとか、仕事が辛いけれどやめられなくて苦しむとか、仕事がきつすぎて病気になるとか、長時間労働で家族との時間が取れないとか、そんな方はたくさんいらっしゃることと思います。私が今思うのは、仕事を絶対視しすぎて無理して心身を病んだり、家庭が崩壊してしまったりするなんて、本当にばからしいなということです。それは人生における優先順位において仕事が上位にある、という思想の結果かと思います。人それぞれ意識化されているかは別として、人生における優先順位というのは必ずあるはずで、特に男性は仕事を最重要視している方が本当に多いように感じます。

以前にフランスの哲学家・思想家バタイユの「有用性」論を取り上げたことがありました(現代における「有用性」至上主義の呪いの記事参照)。私たちは結局のところ、「有用性」の呪縛にとらわれすぎて、仕事に人生を捧げるような生き方をよしとするような風潮があるのだと思います。私がいつも疑問視している「女性の社会進出」や保育園に子どもを預けたがるお母さんたちを見ていてもそう感じます。「社会で働きお金を稼ぐ」というわかりやすく褒められそうなことをするというのが人生の軸になっている、そんな人が多いのではないかなと思います。

私自身は、社会で活躍したいとか認められたいという気持ちがなくなってから、本当にやりたいことは文章を書くことや勉強することだと納得することができるようになりました。ある意味、お金を得るための仕事にはこだわりがなくなったと言いますか、心身を病まない程度に続けられることならいいかな、くらいに思っています。お金を得るための仕事ではなく、お金にはならないけれど本当にやりたいことを軸に人生を設計しようかなと思うようになったということです。そういった価値観(優先順位)の転換ができるようになってから、随分と生きるのが楽になりました。人生仕事がすべてじゃないですし、わかりやすく社会で活躍するのが良いこととも限りません。専業主婦で子どもに愛を注いで生きている方や、地域の清掃をボランティアでやってくださる方など、お金にもならず社会では認められないけれど素晴らしい生き方をされている方もたくさんいらっしゃいます。人生における優先順位は人それぞれで、どんな生き方であっても自分に胸を張って堂々と生きていけば良いのだと思います。

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