「信頼」され続けるためには?

エゴが肥大し、不正行為、消費者を裏切るような行為、上から目線な対応などをしてしまう企業や人は、「信頼」「信用」を失い、転落していくものだという話をここ数日書いていました(思い上がると転落するのが世の常の記事参照)。売れ続けるために必要なことを考えるの記事、人としての信頼を高めること以外にすることはないの記事にも、とにかく「信頼」「信用」、誠実さが大事であるということを書いています。昨今、某企業が運営するキュレーションメディアのパクリ問題やずさんな運営状況が明らかになり、批判の的となっているようです。こういったことがあるとその企業に対する「信頼」「信用」はぼろぼろと崩れていってしまいますよね。そしてその影響は他のキュレーションメディア、サイト運営の状況にも波及するものです。

ここ数日はこの問題を見るにつけ、「信頼」って一体なんなんだ?ということを思案していました。簡単そうに見えて結構難しくて、誰かの期待に応えることや周囲の期待を裏切らないことが「信頼」…なのかなと思ったりもしつつ、それって他人軸で生きているだけだし、「期待」自体がエゴのなせるわざなので、本質的には違うんじゃないかなと考え直しました。「信頼」…と一言で言ってもいろんな捉え方ができてしまうので、本質的な意味で「信頼」を高め維持するってどういうことだろう?というのはすぐに結論が出ませんでした。

フラワーエッセンスのなかには「信頼 Trust」がテーマとなっているエッセンスがたくさんあります。「自信」とも似たような意味で使われているようですが、いわゆる直訳的な「Confidence」ってスピリチュアルな世界ではあんまり目にしないんですよね。「Trust」の方が多いです。私は英語ネイティブではないのではっきりこう違うのですとは言えませんが、ニュアンス的には「根拠のある自信=Confidence」と「根拠のない信頼=Trust」の違いなのかなと思っています。「私はこれだけのものを持っていて、これだけの知識や能力があるから自信がある=Confidence」、「根拠はないけど絶対的に自分を信頼している=Trust」という違い。実力は「根拠のない自信」ありきという記事を以前書きましたが、この「根拠なく」というのが最大のポイントなんですよね。

そもそも、外の世界は自分の内側の投影で鏡であるという絶対的な法則があるのだから、外の世界からの自分への見方と、自分が自分をどのように見ているかというのは相似形になっているはずです。つまりは、外の世界(他人)から「信頼」され続けるためには、自分で自分を「信頼」し続ける必要があるということですよね。「信頼」というのは「根拠のない自信」とほぼ同じような意味であることを考えると、「根拠はないけど絶対的な自信があり、自己肯定感が高い状態」であり続けることで、他人からも信頼され続けることができると言えます。

そしてそして、「根拠はないけど絶対的な自信があり、自己肯定感が高い状態」であるためには、自分のスピリットとつながるハートの声に従って、日々「自分で決める」ことを繰り返していくのが一番なんですよね。昨日のほんの少しの違和感でも拡大してみるの記事にも、「自分で決める」ことが大切であると書きました。エゴではなくハートの声に従って生きている人は、次第に自己肯定感が高まり、周囲からも「信頼」される、ということです。迷ったときや少しでも違和感を感じたときは、エゴとハートのせめぎあいが起きています。そこでハートの声をくみ上げて、「自分で決める」ことがいかに大切か、そしてそれこそが「信頼」を高め維持するための一番の近道なのだと改めて気づきました。

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