価値のあるものだけが残っていく

価値がなくなったもの、無意味なものって時間の経過とともに淘汰されていくもので、例えば、技術革新であったり、時代の流れの変化に従って、何か別のものに取ってかわられたりするものですよね。ここ数十年の間でも音楽プレイヤーはレコード、CD、カセットからMD、そしてiPodなどの大容量デバイスに変化してきましたし、通信機器もポケベル、ガラケーから、スマホ、タブレットへと変化。もちろん今でもレコード盤はありますし、ガラケーを使っている人もいます(私も)。それでもさすがにポケベルはいないはずです。大多数の傾向が変わっても、レコードやガラケーに価値があると感じる人がいる限り、細々と残っていくことはあるでしょうね。

スマホが普及したことにより、コンパクトデジカメを使う機会は減りましたし、音楽再生もスマホでできる、ラジオも聴ける、固定電話は契約しないし、パソコンすら不要になってきました。やっぱりスマホの普及は生活を大きく変えましたね。私たちの消費行動にももちろん影響がありますし、モノの売れ行きも大きく左右する技術革新だと思います。何年後になるかわかりませんが、インターネットとテレビが同時配信できるようになれば、テレビすら買わない人も出てくるでしょうね。

今の話はここ数十年の限定された事象のことでしたが、もっともっと長いスパンで同じように考えてみると、古典文学や伝承、言い伝えなども、価値があるからこそ今まで残り続けていると言えそうです。また、私がハマっている占星術、数秘などの魔術系の叡智や、ハーブ療法、シャーマニズムなども太古から現代まで残り続けています。いまや、「科学的に証明できない」などと言われて、ちょっと異端っぽい扱いも受けていますが、本当に何の役にも立たない、何の価値もないものであれば、現代まで残り続けるはずがありません。「科学的に証明できない」ことはいかがわしい、アヤシイ、という概念が強い現代だからこそ、ちょっと異端のように感じられてしまうだけで、現代までなくならずに存在する時点で価値があることの証明のように思っています。

こと違和感を感じるのはやはり医療についてですね。日本は西洋医学信仰があまりに強いと感じます。これはよくできた洗脳なんですけどね。まず感情、精神エネルギーレベルでの不調が起き、それが限界を超えると肉体にわかる形で不調が起こるということ、肉体の身体以上に私たちはオーラ体を持っているということを誰も教えてくれません。身体の症状をなくす=治癒、だと思っているからこそ西洋医学に頼ってしまうのですが、それはかえって逆効果になることも多いです。

古代の治療は呪術で行われていたというのはよく耳にしますが、それはとても理にかなっていたのだなと感じます。そして、今私が学んでいるヒーリングも元をたどれば考え方は同じでしょう。糾弾されがちで本当に効くの?と思っている人も多いホメオパシーだって、200年の歴史がありますし、何の価値もないものだったらそもそも療法として成立しませんし学校もありません。私がメインで学んでいるフラワーエッセンスも本当に効果あるの?と思われがちなのですが、これも1920年代からあるものですし、本当にプラシーボならやっぱり現代まで残りません(ルーツは先住民にあるし…)。おばあちゃんの知恵的な梅干しや柿の葉、ビワの葉のお手当てなども効果があったからこそ今まで語り継がれているわけですね。長きにわたり用いられてきた療法というのは、昔の人の叡智の結晶であり、むしろ代わりに試行錯誤してくれてありがとうと敬意を持ちながら使っていきたいものとすら感じます。

西洋医学や科学技術を否定するつもりは全くないのですが、ほんの数百年くらいの状況を絶対的なものとしてとらえ、その概念にしがみついて生きるのって、全然本質が見えてないよな、と感じます。私のnoteを読んでくださっているマニアックな方にそういう方はおそらくいないだろうと感じますが(笑)、世の中には大勢いらっしゃいますよね。価値のないものは容赦なく切り捨てられていくのは今も昔も変わらないことで、残り続けるものの中に「本質」や「普遍性」といった叡智が詰まっていると思います。今でも読み継がれる『源氏物語』は普遍的な愛の物語ということですよね。この激動の時代において、本質を見極める目は絶対に必要です。私も偏った考えにとらわれず、本質的なものの見方ができるよう、さらに感覚を研ぎ澄ませていこうと思いました。

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