家族サービスは罪滅ぼし?

3日ほど更新を休んでいる間、両親と3人で旅行に行ってまいりました。精神的にちょっと不安定な時期でもあって、旅行中も暑さや疲れで不機嫌になったりぐったりしてしまったりと、心の底からエンジョイできた旅行ではなかったのですが、無事に帰宅し記事を書けるほどには元気に回復しました。私はあまり旅行好きではなく、遠出もあまりしたくない方なので、旅行というのは楽しみ半分・憂鬱半分といった感じです。疲れとストレスでぐったりしてしまうのが目に見えていて、テンションが下がることが多いからです。

母は旅行好きなので幼い頃から夏休みは家族でどこかへ出かけることが多かったです。私は幼い頃から旅行にはあまり良い思い出がありませんでした。以前から「これがトラウマかな」と思っているできごとがいくつかありますが、今回もそのエピソードを思い出しました。小学校低学年くらいの頃にハワイに行ったのですが、夜どこかのショッピングモールだかイベント会場だかに行った時に私が「疲れたー…」とぐったりして元気をなくしていると、母に怒られたか不機嫌になられたかして悲しかったという記憶です。「疲れてぐったりすると母に怒られる」のパターンは今でも引きずっていて、私を旅行嫌いにさせる一因にもなっているように思います。

旅行というほどではないですが、幼少期はよくディズニーランドにも連れて行ってもらっていました。小学校低学年までは年パスも持っていて、頻繁に遊びに行っていたように思います。このnoteでもたびたび書いているように、両親は共働きだったので、普段寂しい思いをさせてるから週末くらいは家族サービスを、という気持ちが潜在的にあったのかもしれません。それでわかりやすく楽しめそうなレジャー施設に連れて行ってくれていた(私が喜ぶと思って)のだと思います。親は「遥が行きたがったから連れて行ったんだ」と言いますが、確かにそういう面もありつつ、親にとってもそう言うことが都合の良い面があったのではないかと思っています。そういう家庭って結構多そうです。

そんなことを思い返してみて、「私はそんなことよりもずっとそばにいてくれた方が良かったよ。私が体調悪い時に仕事に行ってたのとか不安だったよ。」と感じて、じわじわ泣けてきました。親が毎月のようにディズニーランドに連れて行ってくれたり、遠出の旅行を好んだのは、(無意識レベルで)普段一緒にいられない罪滅ぼしのつもりもあったんだろうなと感じたりもしました。1回の特別よりも、いつもそばにいてかまってくれる方が、よほど子どもにとっては嬉しいことなのではないでしょうか。普段一緒にいられない寂しさは、幼い私に週末のレジャーや夏休みの旅行では補いきれないほどの深い傷を残したように思います。親というのは子どもが何をしてほしいか、どうしたら本当に喜ぶのかということを、ほとんど何もと言っていいくらいわかっていないものだなと感じます。そしてこれはうちの親に限ったことではないだろうと思っています。

罪滅ぼしのために家族サービスをしなければならないくらいなら、最初からもっと家族や子どものための時間を取ればいいと思うんですよね。世の中全体的に仕事やお金に重きを置きすぎて、本当に大切なものを見失っているように感じます。特にその頃の過ごし方で一生が決まると言っても良い超幼少期に関しては、子どもの情緒最優先で人生設計をしてほしいものです。「週末は家族サービスをしよう」という働きかけではなく、「罪滅ぼしの家族サービスをしなくて済むような生き方・働き方にシフトしよう」という方が真っ当なのではないかと思います。子どもが本当に求めているのはどこかに出かけることではなく、親に愛されていると感じられることであり、それは特別な場所でなくても親の思いひとつでできることだと思います。わかりやすいモノやレジャーでは、本当の意味で心が満たされることはないんだなということを、実体験レベルで痛感する日々です。

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村上 ハルカ

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