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【今日のnote】あの日の僕に降りてきたもの。


 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、179日目。


 記念すべき180日目(毎日連続更新の約半年目)を目前に控えて、こんなくだらないことを書くのはいかがなもんかとは思うのだけど、ねむい。

 ほんとうにねむい。今日は5時前には起きて、取材準備をしながら電車にゆられ、名古屋の某大学で取材を行い、そのままぶっ通しで作業をやっていた。

 そりゃあ、ねむいにきまっている。

 その昔、深夜3時から起きて仕事を続け、夜の22時半にnoteを書いた日があったのだけれど、あの日の次点くらいで、今日はねむい。

 ちなみに、以下のnoteは毎日更新6日目という超初期に書いたもので、途中で何か、眠気に包まれている僕の中に誰かが降りてきたかのように、僕がnoteの画面前でほとんど眠っている間に手がカチャカチャと動き、文章がびっしり自動書記的に書かれていたという、なかなかアレなもの。

 当時、なかなか気合の入った一文を書いていたので引用。

 機嫌の良いとき、書きたい事があるときには、誰でも文章なんか書けます。たかが文章です。しかし、されど文章です。ほんとうに、心の底から、深淵にたどり着きたいんだと思います。だから、約束を安易に投げ出して寝てしまうことなんてできないんです。

 このころは、毎日更新をやったことがなかったので、悪い意味で毎日全力で書いていた。今は、良い意味で毎日書くことができている気がする。当時はめちゃくちゃ力んでいたけれど、今はこんなにねむいのに、ぜんぜん力まずに文章を書くことができている。

 しかし、無理をした先の副産物として、上記でご紹介したような特異な文章が降りてくることもあるのだから、やはり文章を書くことは不思議だ。


 そして、この「書けないはずの日に書く文章」という半年位前に書いたnoteは、なんだか、今読み返すと、まるでnoteを書き続けた今の僕に向かって語りかけているような、不思議なセンテンスがたくさんあることに気づいた。

 自動書記のように書いたものなので、めちゃくちゃ乱文であることはご容赦いただきたい。以下に引用していく。

 何も失くさない人生なんて、きっとないのだろうと思います。でも、自分から失くしたくて失くしたものなんて、この人生にはきっとひとつもないはずです。そうは思いませんか?
 僕が今、深い仕事の疲れと、めくるめく眠気によって、閉じた感性の中からたった一文、引き摺り出してきた文章は、「きみ」はもう、ここにはいないんだ、というものでした。やっと、指先に触れた文章が、これなんだな。そうだったのか。
 そう、僕たちは過去に、確かに、何かを失くしたのです。とてもよくわかっています。そして、それはもう、回復のできない「何か」を含んでいて、時計の針は戻ることなく、僕たちの失くした、その、「きみ」という誰か、世界のどこかにいる、あるいはいた、今でももしかしたら、この世界のいるのかもしれないけれど(ああ、たぶん、これは僕たちの勝手な希望だ)、でも、もう同時代的には、同時系列的には、この世という場所では、僕たちという一人称複数的な人生では、二度と交わることのない、遠い宇宙の向こう側に飛んでいってしまって、もう出会うことができない、流星群、遥か彼方にまで飛んでいってしまった、そうした、失くしてしまった「きみ」との縁をもう一度どこかに再現する手段がほしくて、僕たちはこの、文章を書くという方法を選びました。
 だから書き続けるんです。僕たちはこれからもずっと、きっと。命果てるまで、続けるんです。そう、これは「祈り」なんだ。もう一度、失ってしまった「きみ」と会うために。続けること以外に、どこかにたどり着く方法はない。銀河鉄道の夜に、夜の向こうがわにいくために、僕たちは言葉を紡ぐ。それは、何もむずかしいことじゃないはずだったんだ。むかしはそうだった。いつでも、思った瞬間に、「きみ」に会いに行くことができた。「想いは、光よりも速い」、そう、誰かがむかし、言っていたような気がするなぁ。
 でも、いつの間にか、銀河鉄道の切符を失ってしまった僕たちは、どうすれば、あの空の向こうがわにいくことができるのか、わからなくなってしまった僕たちは、手探りで毎日を生きていて、仕事に疲れて、酒に溺れて、くだらないことばかり覚えてしまって、大切なものはすべて忘れて、時折、自分を失うくらいに疲れ果てたときに、思い出したように、「きみ」のことを考える。そして、僕たちは雑居ビルのあの四角く区切られた空を見る。そこには、銀河鉄道が確かに走っていて、僕たちはもういちど、あの空の向こうがわで起こったさまざまな出来事を、ほんの一瞬だけ、ほんの一瞬だけ思い出すことができる。帰りたい、あの頃に、「きみ」がいた、僕たちもいた、笑っていた(クラムボン)、あるいは麗しい太陽、月、光、山、水、もみじ、季節、雪、肌、寒さ、夢、今宵、命、魂、体、そうした森羅万象、つながっていた、確かにいた、僕たちはいた、「きみ」もいた、ぜんぶがそこにはあった、そして、今はもう僕たちにはないもの、ユウトピア、あるいはイーハートーヴ、そうしたよくわからない場所、誰もみたことがなくて、誰もがみたことのある場所。


 なんだか、読んでいたら、かなしくなってしまった。これじゃあ、まるで、「きみ」がいなくなることを、僕は前から知っていたみたいじゃないか。そんなことって、あんまりだ。そう思うのと同時に、やはりそうだったのか、といった想いも同時にある。すべては決まっていたことなのかもしれない。

 いずれによ、何かを失ったことを取り戻すためには、やはり書き続ける以外に方法はないのである。だから、こんなに、今にも前のめりで突っ伏して倒れて寝てしまいそうな日でも、僕は文章を書いている。

 ——僕が失ってしまった「きみ」は、いったい今日、どんな一日だったのかな。


 

 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう。

 それでは。ぽんぽんぽん。

サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。