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【連載詩集】No.3 希死念慮、希生念慮

「死にたい」という奴はどうかしてる

 ずっとそう思っていた

 だから、二十代の半ばを過ぎた頃

 親友の一人が自殺したことを知って

 俺は正直なところ、軽蔑していた


 あいつは人生を降りたんだ

 誰にやめろと言われたわけでもないのに

 なんで死んだんだ

 あんなに苦しくて楽しかったじゃないか

 俺だってきつかったんだ


 大学生の頃

 酒と麻の喫煙ばかりやって

 馬鹿みたいに騒いで

 どうにもならない人生を

 みんな隣同士で見てた

 なぜあいつだけが

 死ぬことに取り憑かれて

 逝ってしまったのか


 三人で京都の街をドライブした

 あいつだけ見えなかったんだ

 四つ辻の悪魔

 交差点に佇む怪物を

 身体中、真っ黒に塒(とぐろ)を巻いた瘴気を放つ怪物を


 俺ははっきりとその姿を見た

 奴は交差点の向かい側に立っていた

 怪物は眼鏡をかけていた

 身体にぴったりと合ったスーツを来ていて

 髪型は綺麗に七三に分けていた

 見た目はただの若いサラリーマンだ

 でも、そうじゃない

 奴は、人間じゃない

 身体中から、真っ黒の瘴気が蛇のように這い出ていた

 そして、確かに

 四つ辻の悪魔は

 俺の方を見ていた


 もうひとりの親友は「あそこに何かいる」と指さした

 あいつだけが見えなかった

「二人とも凄いね」

 なんて、馬鹿みたいに笑っていた


 そして、あいつだけが先に死んだ

 怪物を見なかったのに、あいつだけが死んだんだ

 同じ場所、同じ時間、同じ酩酊を味わっていたのに


 ひとりの親友はもう二児の父親だ

 俺は紆余曲折して物書きになった

 そして今、あいつのことを思い出しながら

 平成最期の夏に、

 とつぜん思い立って、

 三十四歳にもなって、

 こうして詩を書いている

 俺は朧月の夜、安息日に踊った

 そして、「何か」に魅入られたのだ

(その「何か」はもう、俺を離そうとしない)


 今はもう

「死にたい」という奴はどうかしてる

 なんて思わない

 なぜならば

 俺がこうして詩を書くようになったのは

 ふとした瞬間に

「死」の存在を

 心の根元で

 意識しはじめたからだ


 希死念慮

 俺だって「死」を選ぶかもしれない

 そこに差なんてないんだ

 自殺したあいつは、

 実は俺だったのかもしれないってことに、

 今更ながら気づいた


 強烈な一撃を食らった

 信じていた何かが砂の城のように崩れた

 その瞬間に

 俺にも一丁前な

 希死念慮が芽生えた


 希死念慮

 それは、ほんの一瞬だった

 希死念慮

 しかし、それは本物だった


 俺は、強い日差しに光る、

 梅雨が明けようとしている六月の、

 窓のすりガラス越しに、

「死」がべったりと、

 こっちを見ていることを知った


 ひとはいつ死ぬかなんて

 わからない

 今夜、「死」はやってくるかもしれない

 明日、「死」はやってくるかもしれない

 今日、たまたま「死」はやってこなかっただけだ

 あるいは、たまたま、「死」を選ばなかっただけだ


 でもな

 黙って死ぬのはごめんだ

 俺はここにいた

 俺たちは確かに存在した

 隣同士で息をしていた

 そのことくらいはちゃんと残したいじゃないか

 なあ、そうだろう?(お前には聴こえているか)


 希死念慮

 偉人たちも取り憑かれた

 芥川、太宰、三島、川端

 全員の作品を読んだことがある

 四人とも、壮絶な物書きだ

 でも、みんな死んだ

 自ら、命を絶った

 作品を読んだときには

 わけがわからなかった

 なんでそんな、世界の頂点に立ったのに

 死ななければならなかったんだ

 誰もが目指す場所に立って

 世界を見渡して

 そして死んだ

 睡眠薬を大量に飲み、

 女と入水し、

 腹を切り、

 ガスを吸い込んだ

 自殺するなんてどうかしてる


 でもな、俺は今、こう思うよ

「死」は「影」なんだ

 光ある場所に「影」はできる

 巨大な光に包まれた彼らは、

「死」の大きな「影」をもまた、踏むことになった

 それはきっと、耐え難いくらいに、残酷なことなんだろう


 そして、ひとりでなんとか三十四歳まで生き延びて、

 小さな光くらいは感じることができるようになった、

 名もなき物書きである俺もまた、

 小さな「影」を踏むことくらいはあるんだ


 生き晒し

 死に囚われた

 友を偲び

 我も感ずる

 踏み抜いた影


 ——しかし、俺は、まだ負けない

 俺には生きた「今」の言葉がある

 だから怯えることはない

 希死念慮を抱えながらも

 言葉の斧を振りかざし

 あの四つ辻の悪魔の

 怪物の脳天を必ず砕いて

 それから死ぬ

 死ぬのはそれからだ

 まだまだ、まだまだ言葉の力が足りない

 だから中途半端に死ぬわけにはいかない

「死にたい」なんていう奴はどうかしてる

 やっぱり、まだ言ってやる

「死にたい」なんていう奴はどうかしてる


 でも、不思議だな

 死んじまった親友の口からは

 いちども

「死にたい」なんて聴いたことはなかった


 たぶん

 ほんとうに死ぬということは

 そういうことなんだろう


 ほんとうに死ぬやつは

「死にたい」なんて言わないんだ


 ほんとうの「死」は

 真夏の塵溜めから這い出してきた

 銀蝿の羽音みたいに

 仰々しい音を立てながら近づいてくるわけじゃない


 秋の夜の

 鈴虫の鳴き声みたいに

 凛とした

 静かな音で

 寄ってくるのさ


 聴こえた頃にはもう

 死んでいるんだろう


 嗚呼!

 嗚呼!

 いまいましい

 希死念慮

 負けてたまるか

 希死念慮

「死にたい」なんてどうかしてる

 打ち砕いてやる

 希死念慮

 言葉の斧で

 希死念慮

 四つ辻の悪魔

 怪物の脳天を

 希死念慮

 終わらせてやる

 希死念慮


 のたうち回るような

 孤独を抱え

 思い通りにならない

 人生を抱え

 壮絶に、生きろ

 我に宿りし

 希生念慮


namaḥ samanta vajrāṇāṃ caṇḍamahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ.

namaḥ samanta vajrāṇāṃ caṇḍamahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ.

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