Miho

想いに言葉を与えるアーティストMihoのブログ

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最近の記事

ひかりをあてる

「Mihoちゃんが「これ」って思ったものって そのあとすごく拡がっていくよね。」 「いろんな企画をしているけれど どうやって、その対象の方とそこまで 深く話して企画ができるようになるの?」 ということをよく言われたり 聴かれたりする。 私は何も特別なことはしてなくて 自分の心に「これは💡」ときたものに ただひたすら光をあてているだけ。 一年半前、SHOGENさんの会を 主催させていただきはじめたころも 「美穂さん、僕、全然有名じゃないんです。 だから、人集めるの大変か

    • 空の瞑想インストラクター養成講座〜空の瞑想実践記録04

      【空の瞑想について学んでみた】 空の瞑想インストラクター養成講座を ベストなタイミングで 大好きな友人たちと受講しました。 自分が瞑想のことを深く学ぶようになるとは 思ってもみなかったけれど、 自然に学びたいなと思っての今回。 去年9月に 大好きな友人からの ご縁で出会った「空の瞑想」。 初めて参加した瞑想会で今まで得たことのない 瞑想での感覚を得て、 これはなんか違う。 またこの瞑想をしたいなと思って 毎日習慣になった「空の瞑想」。 瞑想をするなかで体感するさまざま

      • お昼寝・休憩がわりの瞑想〜空の瞑想実践記録03

        【空の瞑想】をはじめて 変わったことのひとつ。 それは、 少し疲れたな ちょっと体調が思わしくないな と思ったら 少し休憩したり お昼寝をする 代わりに ちょっと瞑想をするようになったこと。 瞑想中に いくら思考が行き来したとしても なんだか居心地の悪い瞬間があっても それでも瞑想をする。 それは、続けていれば 必ず効果が生じていることが 約半年続けてみて 体感覚でわかってきたから。 移動中もかなりの確率で 瞑想をするようになった。 普通の電車のなかはできる

        • あるがまま ラブマントラ〜空の瞑想実践記録02

          みなさま、こんにちは。 昨年9月に友人からの紹介で出会った 村上浩樹先生による「空の瞑想」。 私が今まで出会った瞑想とは 体感が明らかに違った。 「瞑想はよいもの」 と思いながらも 毎日瞑想する生活とはほど遠い 日々を過ごしていた私が 「空の瞑想」に出会って、毎朝、 浩樹先生がオンラインでしてくださる グループ瞑想に参加し、 夕方も30分の瞑想をできる時は なるべくするという生活をしている。 誤って寝坊してしまい、 朝のグループ瞑想を逃してしまったら 残念な気持ち

        ひかりをあてる

        • 空の瞑想インストラクター養成講座〜空の瞑想実践記録04

        • お昼寝・休憩がわりの瞑想〜空の瞑想実践記録03

        • あるがまま ラブマントラ〜空の瞑想実践記録02

          委ねる・頼る〜空の瞑想体験記録01

          未来から流れてくるものは 自分で見ているものや 望むものもあれば 予期せぬものもある ただ 実際は起きてみなければ 何がどうなるかは 誰にもわからない 予測はしていても そうしたものの中を 私たちは生きていく。 未来をひとつひとつ 自分で意図してそのとおりに 創っていくことも できるけれど 不確実性の部分について 委ねる柔らかさと勇気を持つと 私たちには無限の未来がくる。 何が起こるかわからないところに 「委ねる」行為は 時に、人によっては「楽しみ」 だけでなく「

          委ねる・頼る〜空の瞑想体験記録01

          瞑想の体験記録

          まさかこんなに瞑想を日々するように なるとは思わなかった。 そして、こんなにも瞑想から たくさんの体験をさせてもらうとも。 私自身はカリグラフィーをすることが もともと自分にとって瞑想的な行為。 私にとって瞑想的 とは 自分とつながる 自分自身である 世界と融合する 創造の源に触れること。 今までしてみた瞑想では、 カリグラフィー以上にそのような 感覚になるものがなかった。 空の瞑想 は違った。 私がカリグラフィーを通して 得る 「世界と融合する」 「自分自

          瞑想の体験記録

          無駄やくだらないのなかに

          タイトルはペンキ画家 SHOGENさんのお話の中に出てくる言葉から引用しました。 大学職員時代、後輩から 「先生たちと話をできるようになるためにはどうしたらよいですか?」 「先生たちの信頼を得るにはどうしたらよいですか?」 という質問を受けたことがあった。 大学にはさまざまなタイプの先生方がいらっしゃる。それぞれに専門をもたれ、研究されていたり、教えることが得意な先生だったり。 事務職員をしているこちらとは思考回路が違ったり、大切にしていることも違う。 大学事務という

          無駄やくだらないのなかに

          希望

          Where there’s hope, there’s life. 希望があるところに人生もまたある。 It fills us with fresh courage and makes us strong again. それは新たな勇気をもたらし、再び強い気持ちにしてくれる。 Anne Frank アンネ・フランク 𑁍𓏸𓈒𓂃𓂃𓂃𓂃🕊𑁍𓏸𓈒𓂃𓂃𓂃𓂃🕊 私たちの世界にはさまざまなことが起きる。 それでも、 私たちにはいつでも立ち上がる強さを 光を与えられている。 それ

          すべてはある

          「すべてあなたの中に備えてある。 すべて与えてある。」 空の瞑想をはじめて3ヶ月半。 先生の瞑想会に参加しての瞑想中に 降ってきた言葉。 そのあと、生まれたときから今までのことが、走馬灯のようにものすごい速さで見えた。 気がついたら涙が出ていた。 全部自分のなかにあって 今までの人生もそれを自分が外側に 起こしてきた、それなんだって まざまざと見せてもらった。 嫌だったことも 幸せだったことも 辛かったことも 楽しかったことも なにもかもすべて。 今、私から離れて

          すべてはある

          いのち

          先日、カリグラフィーのレッスンのために羽田から伊丹に向かう飛行機のなかで 去年、他界した若い友人を思い出した。 思い出したというか、彼女の空気を感じた。 彼女とはあるリトリート企画の参加者同士として出会った。 ともに過ごした時間はそのリトリートの2日ほど。 でも彼女の放つ光は美しくて、私にかけてくれる言葉には私の何かを後押しするしなやかさがあった。 このとき、彼女は病を患っていた。 誰にもそのことを言っていなかったけれど。 そして、その1年後ぐらいにしずかに旅立って

          いのち

          平和

          私は体質的(生まれつきの卵子と甲状腺の問題)に子どもができにくく 過去に結婚したことがありますが、子どもはできませんでした。 そして、今、40半ばですが、自分の血の繋がった子どもを自分の身体を通して産む、ということにほぼこだわりがなくなってきています。 もちろん、子どもは嫌いではないですから、20代から30代はそれなりに悩みましたが。 今回は不妊のことを書きたいわけではないので、前置きとしてはこれくらいにして。 半年前ほどに、ある祈りを生業もされている方から 「自分に子

          まずは在り方

          誰と過ごすか 一緒にいるか が大切 ということはよく言われていること ですね。 私もそう思います。 誰といるかで 自分の世界を形づくるひとつひとつが 変わるから。 使うことば 行動や所作 どこに行くか どのように時間を過ごすか が変わる。 自分に降り注ぐものが変わるし 互いの間に起こる 振動も変わる。 だから環境ってすごく大事。 でも、外側にそれを見るだけでなく 自分自身も自分を囲む環境のひとつで 誰かにとっても構成要素のひとつ であることを 当然ながら覚え

          まずは在り方

          育みたいもの

          学校に行かない選択をする 子どもたちが増えている。 子ども自身がそこに意味を 見出せず、行かないことを 選択した結果であれば 私はそれは全く問題ないと思っている。 むしろ意味がないなら 行かない方がよい。 私自身は学校が好きだった時も 「行くもの」だから行ってた時も ある。 「学び」は好きだったので 大学で自分の好きな科目を カリキュラムの範囲内で 選択して授業を受けることは とても好きだった。 おかげで成績だけは良かった(笑) 勉強や学びは生きるうえの 知恵にな

          育みたいもの

          ブログ再開

          久しぶりのブログ。 今日から定期的に書いてみようと再開してみることにしました。 今日はね、父の命日なんです。 そんな日の朝、ソウルファミリー的友人ふたりとLINEで会話をしていて 私が長々と書く文章はFBやInstagramよりはブログ向きなのでは? とのサジェッションを受けまして、私の心にあることの言語化はしばらくブログでやってみようと思ったのです。 そう、そして、前述のとおり 今日10月5日は父は命日。 出張先の韓国で倒れて他界して22 年。 生きていたら77才

          ブログ再開

          カリグラフィー・アートと私

          今日は私が伝えているカリグラフィー・アートについて、ここに書きたいと思う。 私がカリグラフィーに出会ったのは18歳の時。 大学に進学した年だ。 押し花のお教室をしていた母の生徒さんが習っていて、母がカリグラフィーの存在を知り、 「あなた、絶対好きだからやってみたら?」と 桜木町のNHK文化センターで行われていた小田原真喜子先生のクラスの情報をセットですすめてくれた。 字を美しく書くことに固執する子どもだった私。 その記憶が母にあったのだと思う。 また、西洋の児童文学の本に

          カリグラフィー・アートと私

          生きるとは。

          今朝誤って削除してしまった記事の再掲。 2002.3.29に書いた記事です。 —— 珍しく母がある映画を観たい、と前から言っていたので、今日はある講座を受けるために午前半休をとっていたところ、春休み全休にして、映画の予約をしていた。 その映画は、昨日、アカデミー国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」。 滅多に映画を観に行くことなどしない母が、大分前から気になると言っていて、アカデミー賞の候補に入ってからは「気になる」とよく口にしていて。 既に他界している父とは

          生きるとは。