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【5/17阪神戦◯】たてさんからシミノボへ、つながっていくもの

解説のたてさんは、何回も何回も「ここでやってくれると思います」と言った。それでも「ここ」ではなかなか打てず、今日もまた神宮で無得点か…と、私はソファに沈み込む。

コータローのねばりは、画面を通しても緊迫感を持って迫ってきた。「球場のお客さんもわかっていますよね。盛り上がりが…声は出せないですけど、拍手の盛り上がりが、いつもと違います」と、たてさんは言った。「声は出せないですけど、拍手で」とわざわざことわりを入れるところが、たてさんらしくて良いな、と、私は思った。

結局コータローは、13球目を見逃して、三振に倒れた。「でも、清水の投球から完全に空気が変わりましたよね」と、とにかくたてさんは、みんなの踏ん張りを(そして同時に対戦相手である阪神のことを)讃え続けた。

そう、8回に、シミノボは帰ってきた。

それはいつもの勝ち試合ではなく、1点ビハインドの場面ではあったけれど、7回1失点とふんばったサイスニードのあとを引き継ぐべく、そのマウンドに立った。

「バッターを抑えようという気持ちが先行して、体が開いてしまったり、腕のふりがゆるくなってしまっていた面があった。単純なところではあるけれど、基本的なところを見直してきた」とシミノボが話したのだとアナウンサーは言った。

それを受けてたてさんは、「素晴らしいですね。ただ戻ってくるだけではなく、レベルアップを試みて、そしてしっかり帰ってくる。そういうところが二年連続、最優秀中継ぎ賞なんでしょうね」と讃えた。

そして、「戦っているブルペン陣を見ながら、そこに混ざっていきたいという謙虚さがあるから、戻ってこられるんですよね。すばらしい選手です」と言った。

何度も「戻りたい」と願い、怪我と、自分と、戦い続けたたてさんの思いが、こもっているなと私は思った。

たてさんがシミノボを何度も讃えるのを聞きながら、たてさんの引退試合で、あとを引き継ぎマウンドに立ったシミノボのことを思い出していた。

あの日、まだルーキーだったシミノボは、2回2/3を6失点という成績でマウンドを降り、負け投手になった。「たてさんまだ投げ続けててよ…」と、思わず私は思った。あのときその投手が、そのあと二年連続で最優秀中継ぎ投手になるなんて、思いもしなかったのだ。

だけど今日、シミノボはそこで三人で打ち取った。素晴らしい笑顔でマウンドを降り、でも腰を低くしながらみんなを迎え入れた。たてさんの言うシミノボの謙虚さが、そこにも表れていた。

たてさんは、「この清水の投球は、流れを変えてくれると思いますよ」と言った。「三球三振でイニングを終えているところ、流れが変わるチャンスですよ。流れを変えてくれると思います」と、何度も繰り返した。

それは本当に、次の先頭バッター長岡くんのヒットを呼び込み、そしてコータローの粘りにつながったのだと思う。そこで点は取れなかったけれど、そのために私はもちろん「ああ…」と大きくため息をついたのだけれど、それでも結局それが、9回裏の、劇的なサヨナラ劇につながったのだと思う。

この見どころが山程ある最後に、たてさんは「今日一番印象に残ったプレー」を聞かれ、「一つですか!?選べないなあ」と言いながら、「清水の投球ですかね」と、言った。

あの日、引退試合の日、自分のあとを受け継いだ投手の名前をあげたたてさんを見ながら、そのマウンドで、つながっていくもののことを私は思う。先発から、中継ぎへ、クローザーへ。そして、引退するレジェントピッチャーから、若き希望のピッチャーへ。その孤高の場所には、物語が詰まっている。

みんなでつかみとった、ヤクルトらしい一勝だった、と、そう思う。にこにこするみんながとても、とてもかっこよかった。今日も明日もその先も、ずっと続いていくヤクルトたちの物語を、ずっと見続けていこう、と、今日もそう思う。今日の喜びもいつかの悔しさも、全部力に変えていく、そのたくましさを見届けていよう、と。

いつかユニフォームを脱ぐ時、みんながあの日のたてさんのように、誇らしく笑っていてくれるように。その時まで。


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