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藤田嗣治「神兵の救出到る」・授業編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑬

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ

(4)藤田嗣治「神兵の救出到る」・授業編ー戦争画を使った「戦争」の授業案

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 元陸上自衛官で兵法研究家の家村和幸氏は大東亜戦争の定義を日中戦争から太平洋戦争を経てインドネシア独立戦争までとしている。日中戦争と太平洋戦争はわかるとして、なぜインドネシア独立戦争が大東亜戦争の定義内に分類されるのか?これから提案する授業はこれを教えるための授業と言えるかもしれない。

 授業はこの藤田嗣治の『神兵の救出到る』の絵を提示するところから始める。

『この絵を見て気づいたことやハテナ?をノートに書き出しましょう』

 銃剣を持つ兵士。
 猿ぐつわを噛まされ縛られた女性。
 荒らされた部屋に散乱するさまざまなもの。
 机の下にいるネコ。
 飾られている絵画。

 まずは、子どもたちは上記のようなことを指摘するだろう。だが、次のような疑問も持つに違いない。

「なぜ女の人は縛られているのか?」
「部屋を荒らしたのは誰なんだ?」
「兵士はなぜ銃を構えているのか?泥棒を捕まえる?警察じゃないよね?」

 この疑問に教師が「解答」するのはたやすいが、できれば子どもの推理で「解答」にたどり着いて欲しい。今は一人一人にインターネットにつながるタブレット端末がある。だから、ここは子どもたちのリサーチ力を信じて個々の調査時間としてもいいだろう。ただし、その場合は次の説明でキーワードを提示する必要がある。

『この絵の作者は藤田嗣治です。タイトルは「神兵の救出到る」と言います。この絵の舞台はインドネシア。兵士は日本軍の兵士です。』

 藤田嗣治、神兵の救出、インドネシア、日本軍―この4つのキーワードだ。

 この連載ですでに紹介している『神兵パレンバンに降下す』を使った授業を経験している子どもたちならばピンと来るはずである。また、タイトルにある「神兵」という言葉が共通に使われている点も大きなヒントになるだろう。

 しかし、時間の関係でそうもいかない時は上記の説明の後に次の「支援」を行う。

 まずは以下の年表を見せる。

1602年 オランダがインドネシアを植民地にする
      約330年間のオランダによる植民地支配が続く
1930年 インドネシア独立運動が起こる。オランダは厳しく弾圧
1941年 太平洋戦争始まる。日本軍がオランダ軍を破る
1945年 8月に終戦。8月17日にインドネシアが独立を宣言
     インドネシアとオランダとの間でインドネシア独立戦争が始まる     
1949年 インドネシア共和国が成立

『この絵は1941年に日本軍がインドネシアのオランダ軍を破ったときの出来事を描いていると言われています。年表を手がかりになぜ女の人が縛られているのか推理してみましょう?』

 こう問われれば1941年以前にヒントがあると考えるはずである。するとオランダの植民地支配に着目することになる。子どもたちの頭の中にはこんな推理が浮かび始めるだろう。

「この女の人はインドネシア人で、お金持ちのオランダ人の召使だろう」
「オランダ人は日本軍がやって来て逃げだした?」
「インドネシア人の召使を放り出して逃げたのではないか?」
「日本人や日本軍に助けを呼びにいけないように縛ったのか?」

 推理はあくまでも推理だ。正解はない。だが、日本軍の進攻を知った裕福なオランダ人が逃げ出したのは間違いないだろう。インドネシア人メイドを縛ったのも「通報」を恐れたのだろう。逃げるまでの時間稼ぎである。

 クラスで意見交換した後に次の資料を読ませたい。

<日本軍のオランダ撃破とインドネシア独立戦争>
□1602年、オランダはインドネシア全土を支配します。抵抗運動がおきないようにするために100以上ある部族を互いに敵対させたり、統一した言語ができないように部族間の言葉はバラバラのままにしました。また、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰されるほどの厳しさでした。
□太平洋戦争が始まり、オランダが日本に破れるとインドネシアでは日本軍の政治が始まりました。まずオランダ語が廃止され、新たな国語としてインドネシア語が作られました。また役所などの公共機関にもインドネシア人が雇用されるようになりインドネシア人の社会への進出が進みました。
□さらに、日本は将来のインドネシア独立を考えて、インドネシア人の若者からなる祖国独立義勇軍(PETA)を組織しました。このPETAがその後の独立戦争の中心となったのです。
□日本は1945年の9月にインドネシアを独立させることを約束していましたが、日本はアメリカなどの連合軍に敗れて終戦を迎えます。しかし、それから2日後にインドネシア人は独立を宣言します。ところが、日本が敗れたことで再びインドネシアを植民地にするためにオランダ軍が戻ってきたのです。
□2000人以上の日本軍将兵は、日本に帰らずにPETAとともに4年にも及ぶ独立戦争を戦いました。PETAは厳しい訓練をしてきましたが、実際の戦闘経験はありません。そこで日本軍将兵がインドネシア人を指揮してともに戦ったのです。インドネシアのために独立戦争に身を投じた日本人将兵たちの多くは帰らぬ人となりました。

 ここまで来ればインドネシア独立戦争と日本の関係の深さを理解できるはずだ。大東亜戦争の定義にインドネシア独立戦争が入るのも納得できる。 

 上記の資料を読んだ感想を交流した後に次の地図と表を見せたい。

①東南アジア地図

①インドネシア       1945年8月17日(オランダより独立を宣言)
②ベトナム              1945年9月2日(フランスより独立を宣言)
③フィリピン   1946年7月4日(アメリカより独立)
④インド     1947年8月15日(イギリスより独立)
⑤ミャンマー      1948年1月 4日(イギリスより独立)
⑥ラオス     1949年7月19日(フランスより独立)
⑦カンボジア   1953年11月9日(フランスより独立)
⑧マレーシア           1957年8月31日(イギリスより独立)
⑨バングラデシュ 1971年12月16日(パキスタンより独立・パキスタンは1947年8月14日イギリスより独立)
⑩東ティモール  1975年11月28日(ポルトガルより独立を宣言)
⑪ブルネイ    1984年1月1日(イギリスより独立)

 これを見て子どもたちは以下のような共通点に気づくはずである。

*ほとんどの東南アジアの国が西欧の植民地になっていた
*どの国も第二次世界大戦後に独立していて1945年からほぼ10年程度で独立している 

 この後は、本格的に「インドネシア独立」について子どもたちにリサーチさせたいものである。その場合、ヒントとして「インドネシア独立」「オランダ植民地」「PETA」「スカルノ」などのキーワードを明示したい。なお、キーワードに「日本」を追加すると独立と日本の関係がわかる情報が得られることもアドバイスしたい。むろん「他のアジアの国も調べたい」という声が出てくればそれもOKである。より広がりのある歴史学習になる。

 なおこのようなリサーチ活動へと展開する他に、以下のブログにある私の授業実践記録「アジアの独立」を追試していただくのも一つの方法である。

 これはインドネシア独立戦争に身を捧げ、その後はインドネシア人として生きた小野盛(ラフマット小野)さんの半生を教材にした歴史人物学習の授業である。

⑨晩年のラフマット小野さん


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