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友人から知人への距離の縮め方。アバタローさんのVoicyより。

私が尊敬する書評YouTuberであるアバタローさん。
アバタローさんを知ったのはまだほんの最近。

なんとなく買った哲学者ショーペンハウワーの「幸福について」という本があまりにも小難しくて、読み進める前にとりあえずわかりやすく解説してくれてる人いないかな…とYouTubeで検索してみたところ、アバタローさんに辿り着いたのがきっかけ。

アバタローさんの解説はめちゃくちゃわかりやすくて、ちりめんじゃこみたいな脳ミソな私でもスルスルと内容が入ってきて理解できる。
ショーペンハウワーがきっかけだったけど、アバタローさんの動画のおかげたくさんの哲学者や偉人たちに出会えた。
そんなわけですっかりアバタローさんにハマってしまった。


そんなアバタローさんに関して今回ご紹介したいのはYouTubeではなくVoicy。今月3日に放送されていたもので「友人から親友への距離の縮め方」についてリスナーさんからの相談に答えられていたものだ。


友人、知人との距離をなかなか縮めることができず、このまま親友と呼べる人が一生できないのではないかとお悩みのリスナーさん。そんなリスナーさんのお悩みに答えられている回だ。

そんなアバタローさんのVoicyを聞きながら、私自身とても共感したので忘れないようにという私のアウトプットも兼ねてこのnoteに書いておこうと思ったのだ。


行動範囲を広げよう


「友人、知人という関係性からどうやって親友という関係性に距離を縮めることができるか」という質問に対し、アバタローさんはまず「いつもより行動範囲を広げてみては?」と答えられていた。

親友というものは狙って作るもの、策を巡らせて作るものではなく、思いがけない所で自然にできるものだと言われていた。
数学者である岡潔さんのフランス留学での経験も引き合いに出されており、人と人との出会いとはいろんな偶然が重なって、思いがけない瞬間にできるものなので、まずは自分の行動範囲を広げ、アンテナを広げることが重要であるとのことでした。

ほんとその通りだと思います。人との縁を望みながら家でじっとしていてもそれは無理な話。それに動くということだけではなく、日常の行動パターンそのものに少しでも変化を起こし、"非日常"を取り入れなければ人との出会いやご縁というものはなかなか厳しそうです。"出会い"を意図した行動と、情報をキャッチするためのアンテナを立てるという自らの態度があってこその出会いに繋がる。

そう思います。


親友ってそもそも必要?


親友というものはそもそも必要だろうか?…。
これはアバタローさんの個人的な意見です。アバタローさん自身は親友が必要だとは個人的には思わないとのことで、実際親友はいないし、何がなんでも必要だとは思っていないとのことでした。

これに関しては私が思う親友の必要性に対する考えと同意見で本当に共感が持てた。よかったー、それでいいんやぁ…というホッと胸を撫でおろす安心感も同時に感じながら。

アバタローさん曰く友人、親友といった対人関係に限らず何事にも一番美しく見える距離感があるとのこと。


アバタローさんは子供の頃から富士山が大好き。
けれどその反面絶対に富士山には登らないという謎のこだわりがあるという。その心理とは一体どういったものか。

富士山とはアバタローさんにとって常に憧れの対象。
その美しい姿を遠くから眺めるというのが彼にとって富士山とのベストな距離感。無理に近づき余計な情報を入れず、富士山というものを神々しいままでおいておきたい。そんな風に言われていた。

めっちゃわかる!めっちゃわかる!めっちゃわかる!


なぜそう思うのか。私の場合であれば稲葉さん。
中学生の時B'zを知って以来ずっと大好きで憧れの存在。だけど大好きであるにも関わらず私は稲葉さんのプライベートを知りたいとは一切思わない。アバタローさんの富士山への想いと同じく余計な情報は入れず、稲葉さんを私の中での稲葉さんという神々しいままでおいておきたい。この心理ときっと同じ。

手の届かない憧れは、手の届かない距離であるからこそ美しいものなのだと思う。
手の届いたその瞬間に、美しさや神々しさを失い、憧れは憧れではなくなってしまう。と私はそんな風に考える。憧れでなくなることが怖いのだ。

それに何よりも、男女の関係であれなんであれ、お互い惹かれ合うものであれば何もしなくても勝手に距離は縮まっていくもので、心配いらないという風に言われてました。


ホントにホントに心から共感します。
親友とは無理くり "作る" ものでも "なる"ものでもないと思う。
その関係性に"コントロール" が入るともうそれは「親友」とは違う関係性になってしまう。その距離はコントロールして縮めるものではなく、必要であれば自然にそうなるもの。

そして誰とも縮まらなかったからといってそこに「恥」や「罪」の意識を感じる必要はまったくもってない。

「親友が一人もいないことは恥ずかしいことだ」

という思いがあるのならばそれはこの世の常識といったものの刷り込みによるものだ。友達たくさん作りましょう。友達100人できるかな?幼い頃から歌でも教えられてきた。

だけどそれってホントかな?

友達たくさん親友も絶対いなければならないと思いっているのであればまずそこから疑ってみてほしい。

この世の人間は全員バラバラな存在。
人によって心地よい距離感は違うし、人によって友人や知人の心地よい数がある。世間一般の意見や、偉い誰かの意見に合わせるのではなく、対人関係における自分にとっての心地よい距離感や関係性を追求していくことの方が大切なんだと私は思う。



今回は親友を持つということについてアバタローさんが答えられていたこと、そして私自身が感じたことについてのnoteへの記録。

アバタローさんのYouTubeとVoicy。全力でおすすめです。
(本も欲しいっ)



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