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メンタル疾患に罹る前と後でどう変わったか


"普通の人間"を引退してからかなりの年月が過ぎた。

かつての僕は、「完璧主義」「負けず嫌い」「自分にも他人にも厳しい」「いつも何かに憤っている」「人間不信」「臆病者で偏見持ち」「人のいう事に耳を傾けない」
自分で書いていても思うが、なんとも窮屈で生きづらい性格をしていたと思う。


2015年11月。
学校での人間関係受験によるストレスが引き金となり、不安障害を発症。

そこから約8年後の2023年4月。
会社や私生活における人間関係のストレスや、うつ状態になったことで「普通」の生活が送れなくなった焦りから、うつ病との診断を受ける。
それと同時に、一時的に治まっていた不安障害が、より悪化して再発


文字に起こしてみると、なかなかハードモードな人生を送っているように見える(まあ実際にしんどい事は多いし、心は何度も折れかけている)。

ただ病気になってから悪い事ばかりかというと、意外とそうでもないと思う。
なまじ元気だったころよりも、今の自分の方が好きでいられる。
これは虚勢でも空元気でもなく、本心だ。


では実際に、メンタル疾患に罹る前後でどのような変化があったのか。
今回はそれについてここに書いていこうと思う。



1回目:不安障害(2015年11月~2021年4月)

<悪い変化>
・外食が苦手になった

・乗り物が苦手になった
・行動範囲の縮小に伴い、有形資産にばかり極端に拘るようになった
(僕の場合は服とか)

<良い変化>
・以前より人や自身に優しく(寛容に)なった
・偏見を持たなくなった


■1度目のメンタル疾患発症による変化

不安障害は、発作そのものへの恐怖も大きいが
他人に見られる恐怖というのも大きい(と、僕は思っている)。

加えて僕の場合は、元々幼少期のトラウマから嘔吐というものに人一倍恐怖を感じていたこともあり
電車に乗っている最中に吐きそうになってから、電車および閉所が嘔吐恐怖ないしはパニック発作のトリガーとなり、電車などの乗り物が苦手になった。

そしてその閉所というのは、必ずしも物理的な閉所に限らず
「空気的にその場から離れられない状況」も対象となった。
そのため僕は外食席を外せない授業や会議などが苦手になった。

また、そういった予期不安からどんどん行動範囲を狭められ
旅行や食などといった「経験」にお金を使うことが出来ず、日常生活に楽しみが見出せなくなったため
有形のものに対するこだわりのみが極端に強まった。
そしてそれに伴い、金銭感覚も麻痺していった。
(一概に悪い事とは言えませんが、価値観が狭まってしまうという意味で今回は悪い変化の項目に入れています。)

そしてこの時の僕は、病気を治したいという気持ちは持たないように
全てを避けて、諦めようとしていた。

望んでしまうと叶わなかったときに失望するのが嫌だったからである。
確かに傷つくことはあまりなかったが、その代わり心から何かを楽しむこともしていなかった気がする。



ただその代わり、自分にできないこと(弱点)が増えたことに伴い
他人の欠点や短所を受け入れられるようになった。
「お互い様」という概念が僕の中で初めて生まれた。
そして、他人を通して自身をも許せるように
そのため、以前よりも人間関係が穏やかなものになった。

また、不安障害に罹患しマイノリティ側の人間となったことで
世の中にはまだまだ自分の知らないタイプの人間がたくさんいることを知る。
病気を通じて、今まで出会ってこなかったタイプの人間との交流が増えたことにより、凝り固まっていた価値観が広がった。
そして、世間には認められがたい個性を持った人に対しての偏見を持たなくなった。


2回目:うつ病+不安障害(再発)(2022年5月~)

<悪い変化>
・体調や精神の浮き沈みがより激しくなった

・以前よりもさらに行動範囲が狭まった
・将来への不安が増えた

<良い変化>
・以前より外食はいけるようになった(ただし人は選ぶ)
・足るを知った(ないものねだりがだいぶなくなった)
・以前よりは等身大に近い自分でいられるようになった
・(色々自分で調べ、知識が増えたことにより)以前よりも発作時に
「ただの脳の誤作動だ」と思えるようになった
・並大抵の事では落ち込まなくなった
・他人に依存しなくなった


■2度目のメンタル疾患発症による変化

1度目との大きな違いは、4つある。

◎成功体験があったこと
(ちゃんとした恋愛が経験できた、親友が出来た、一時的に病気が治った、一人暮らしが出来たなど)
◎(一時的に寛解したことで)有形資産以外への興味が広がったこと
希死念慮というものがいかに恐ろしいか身をもって体験したこと
・情報収集により知識が深まっていたこと

これらがあったことによって、「生きてさえいればどうにかなる」と思えるようになったし、「病気を克服出来たら、今までよりもっと楽しい事や、自分の知らない世界にたくさん触れることが出来る」「そのために病気を治したい」と、病気と前向きに向き合うことが出来るようになった。

また病気を治すために、心療内科に任せきることはせず
(というより、元々の性格で他人に何かを委ねるのが苦手なだけだが)
病気や発作のメカニズムなどについて色々調べ続けた結果
知識がつき、それにより発作が起きた時でも「ただの脳の誤作動だ」と自分に言い聞かせることが出来るようになった。


ただ悪い変化にも書いてあるように、以前よりも不定愁訴が発現することが増えたり、気持ちの浮き沈み比べ物にならないくらい強く表れるようになり、
「以前は治ったけど、今回はだめかもしれない」
「将来支えてくれる人がいなくても、一人で成り立つことはできるのか」
「このまま狭い世界しか知らないまま死ぬのかな」
などと不安になることも以前より増えた
常に前向きでいられているわけでは当然ない。

それでも、累計すると前向きでいられている時間の方が多くなっていると思う。

加えて、日常生活でちょっとしたトラブルや嫌な出来事が起きたときに、以前の自分はくよくよと反芻していたが
「うつのしんどさに比べたらしょうもない」と受け流せるようになった。
良くも悪くも病気の事で精一杯なため、くだらない問題に頭を使っている余裕がないのだ。

病気で行動範囲や生活が制限されたことにより
今自分が持っているものや人にありがたみを感じるようになった。
こんな状態の自分にも会ってくれる人がいる。支えてくれる人がいる。
決して当たり前の事ではない。

そしてさいごに、「【コラム】うつ病でも恋愛はしていいの?」や僕の回想録であるマガジン「轍」にも書いてあるが
失恋を通じて他人に近づきすぎることの危険性メンタル疾患は他人が治してくれるものではないということを身をもって知ったことにより
他人に依存を(あまり)しなくなった。
つまりそれは、自分の心の声に耳を傾けられるようになったともいえる。

今の方が、病気をする前よりも自分らしくいられている。
僕は今、自分らしくいられている自分が好きだ。


さいごに

メンタル疾患を患ったり精神を病んでしまうと、都合の悪いことに目が行きがちである。
行動範囲が制限されたり、体調が悪い状態がデフォルトに設定されたり、気晴らしをする気力もなく余計に落ち込んだり…実際にしんどい事は数えきれないほどある。

それでもやっぱり、生きてさえいればどうにかなると僕は思いたい。

自分の人生に少しでも希望を見出してみようと思い、この記事を書きました。

この記事をきっかけに、読んでくださった方々の日常が
ほんのちょっとでも前向きなものになれば幸いです。

もしご要望やご意見などありましたら、ぜひお気軽にコメントくださいませ。


ご精読いただき、ありがとうございました。

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