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ピアノ講師と不倫 第4話

妻と近藤を泳がせた状態でもうすぐ二か月経とうとしていた。驚いたのは、妻と近藤の情事の報告よりも、近藤のひどい行いの報告の方が何倍も報告書がぶ厚かったことだ。この男は、こんな風に片っ端から女性に手を出して、そのうち破滅するとか考えなかったのだろうか。海外留学の経験もあって、音楽家としてはそこそこの実績もある。収入だって悪くないはずだ。興信所の人は「病気だ」と言っていたが、もしかすると本当にそうなのかもしれない。

俺はさっそく近藤に連絡を取った。妻のレッスンの今後について話をしたい、と言う口実で家から少し離れたファミレスを指定して呼び出した。当然、妻に見つからないための配慮だった。強いて言うなら、近藤の勤務する大学に少し近い。このことは奴を警戒させることなくここに呼び寄せてくれるだろう。もっとも、今日は近藤とサシではなく、俺の横には弁護士が座っている。基本的には俺からは何もしゃべらない。すべては弁護士から話すという手はずになっている。得てして寝取られた方の人間が口をはさみ始めると感情的になり口論となって、落としどころに誘導することが難しくなることがあるらしい。とにかく冷静にお願いしますね、と弁護士から釘を刺された。

フロアに近藤が入ってきた。黒に白い線が入った、いい趣味のスーツを着ている。確かにかっこいい、と同性の俺も思わず思ってしまう。大人の男なんて知る由もない田舎から出てきた女子高生あがりなんてイチコロかもしれない。颯爽とやって来た近藤は笑顔をたたえながら目の前に座った。すると、初めて見る弁護士の顔を見て、「こちらは?」と聞いてきた。弁護士は名刺を出して自己紹介すると、明らかに近藤の表情が変わった。弁護士は獲物を逃すまいと間髪入れずに続けた。
「こちらの方と一緒に私が来た、と言うことは何の話かはお分かりですね?」
近藤は頷くでもなく、視線をテーブルに落とした。弁護士は余計なことを話さず、資料の一部をテーブルに並べた。
「これらは全て、こちら、木下さんの奥さんとあなたとの不貞行為を記録したものです。ここに写っているのはあなたに間違いありませんね?」
近藤は蝋人形のように身じろぎもせず固まったままだ。
「もしかして間違いだ、とおっしゃるのなら、あなたをご存じの方に見ていただいて、人定するしかありませんね。勤務先の大学とか、奥様とか……」
この言葉はかなり効いたようだ。
「私に…… 間違いございません」
近藤は観念したように、喉から声を絞り出した。弁護士はさらに畳みかける。
「どうしましょうかね」
「どうしましょう、とは」
「あなたの責任の取り方です」
「責任……」
「そう言えば、あなたの調査の過程でこんな事実も見つかりまして」
弁護士はテーブルの上の妻との資料をしまい、今度は数枚の写真を並べた。
見ると、教え子と思しき女の子とラブホテルに入る姿や、車の中でセックスしている姿、極めつけは学校の窓越しに見せるように全裸でバックから女の子をついている姿……
何と言うか、あきれてものが言えない。
当の本人は顔色を変えた。
「こ、こんなの盗撮だろ! 犯罪じゃないか! プライバシーの侵害だ!」
「もちろん、これが自由恋愛でしたら何の問題もございませんが、あ、先生は確か妻帯者でいらっしゃいましたね」
近藤は反論の言葉を失い、口をパクパクとさせた。
「まあ、こちらはたまたまその姿をとらえてしまっただけです。あなたの奥さんから依頼を受けているわけではありませんしね」
「妻にこれを見せるのか?!」
「そんなこと誰も言ってませんよ? それとも、見せたほうがよろしいですか?」
「わかりました…… 示談とさせてもらえませんか? 事実はもう変えられません。お金で解決させてください。その代わり」
「もちろんです。おっしゃることは理解しました」
弁護士はそう言って資料をしまいつつ、今度は示談書を取り出し、近藤の前に差し出した。近藤は今度は示談金額を見て顔を真っ赤にした。
「無理だ! なんなんだ、この一千万って金額は! 不倫の慰謝料や示談金の相場を無視してるじゃないか」
「無理ですか? 例えばあなたが今乗ってる車。買われたばかりですよね? あれを明日売ればその金額の半分近くにはなると思いますが」
「そんなの無理だ!」
「そうですか。では仕方ありません。訴訟させていただきますね。訴状には証拠の写しも全部送られますので、そのつもりで」
「ま、待ってくれ!」
「示談でよろしいですか?」
「あ、明日、即金で払う。払うけど、今用意できるのは八百万だ。この金額で頼めないだろうか」
「木下さん、どうされますか?」
実は、ここまでの流れは弁護士の想定通りだった。根切交渉まで打ち合わせ通り。そして、俺もシナリオ通りの台詞を言った。
「八百万はあんたにとって無理なく用意できる金額ってことでしょ? それじゃペナルティーにならない。二百万は自分のやった悪行の代償としてしっかり払ってくれ。無理だと言うなら裁判する。その結果あんたが仕事を失おうが今の奥さんとどうなろうがこっちは知ったこっちゃない」
近藤は脂汗をぽたぽたとこぼしながら、わかりました…… と言って俯いた。

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