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映画『アラジン』願いを叶える"他力"と"自力"

3月1日の金曜ロードショーで映画『アラジン』が放送された。

恥ずかしながらアニメ版も実写版も観たことがなく、完全なる初見である。むしろ、日本語吹き替え版の声優を務めた中村倫也さんと木下晴香さんが各歌番組で披露したデュエットの方が見ているし、なんなら曲もダウンロードしている。

今回の放送では、いたるところにカットが入っていたらしく、Xでも嘆きのポストが。たしかに、絶対この前なんかの話あったやろってシーンとか、CM明けで急にアラジンが捕まってたり。アラジン初心者の私でも察してしまうところがあった。

とはいえ映像と音楽の美しさは圧巻で、思わずうっとり……。感動冷めやらぬうちに、初めての『アラジン』からなにを感じたか少し書き綴ってみる。


三者の共通点

ここでいう三者とは、もちろんアラジン、ジャスミン、ジーニーのことである。この三者の共通点はただひとつ。"自由でない"ということ。

アラジンは貧しい生活を送っており、盗みを働くことで生計を立てていた。悪意を持った泥棒でないことは明らかであったが、時代背景や生まれにより生きるための選択肢が盗みひとつしかなかったのである。

一方、ジャスミンはアグラバー王国のプリンセス。身なりが美しく、強い心を持つ彼女の不自由は、行く場所や着る服、婚約者をも命令される"縛り"だ。全てが懇切丁寧に決められていることは、国王になるという意志を持つジャスミンにとってはかなり窮屈なことである。

「自分で何かを決める自由がないのよ」
「それって・・・」
「それって・・・」
「「まるで囚われの身」」

映画『アラジン』より

魔人ジーニーの場合は、ランプに閉じ込められた物理的な自由の無さ。普段は陽気でポップなキャラクターだが、心の内では「自由になりたい」「人間になりたい」と願う、まさに囚われの身の悲しい一面を持っている。


自由になるには誰かの力がいる

いわずもがな、アラジンが魔法のランプを手に入れたことで物語が大きく動き出す。

願い事は3つまでという制約のなか、まずアラジンがひとつ目に望んだのは"王子になること"である。ジャスミンに出会って恋をしたアラジンは、王子になって彼女に気に入られようとするものの、あえなく失敗に終わる。いくら外見を着飾ったとしても、取り繕っただけの王子はアラジンでしかないのだ。

アラジンがここで手に入れたのは、王子の身分というより、ジャスミンとの恋愛を可能にするという選択肢である。盗人であり、身分も低いアラジンは、ジャスミンと釣り合わないのではないかと焦っていた。アラジンが感じていた不自由さは選択肢の無さ。ジャスミンとの恋を叶えるためというのもあるが、広く解釈すると自由を得るためにジーニーの力を借りたのである。

ランプを使ったことで、アラジンとジーニーには主従関係が生まれた。ジーニーの"自由な人間になること"という願いを叶えるには、主人(アラジン)が3つしかない願いのうちひとつを捧げる必要がある。つまりは、アラジンの力を借りなければ、ジーニーの自由の願いが叶うことはあり得ないのである。

ジャファーがランプを手にしたときもそうだが、積極的にパワーや機会を掴みに行っているように見えて、実はとても受け身なことなのではないだろうか。

「ランプがあっても欲しいものは手に入らないぞ、俺も失敗したんだ」「誰が王にしてくれた?」「誰が魔法使いにしてくれた?」

映画『アラジン』より


ジャスミンという自立した女性

ただ、ジャスミンだけは唯一自らの手で自由を手にしている。

『アラジン』が誕生した当時、ディズニープリンセスは『シンデレラ』や『白雪姫』をはじめ、王子様を待つことが主流だったはずだ。だが、自立心を持ち自由に憧れる彼女は、これまでのプリンセスたちとは違う、一線を画す存在なのである。

「役立たずの王子と結婚するために生まれてきたんじゃないの」

映画『アラジン』より

今回放送された実写版では、さらに顕著に表れている。ジャスミンは次期国王になることを望んでいたが、現国王である父やジャファーに女性であることを理由に窘められる。さらに物語後半では、魔法のランプにより力を得たジェファーに王座を奪われてしまう。このシーンで歌われた屈しないという気持ちと心の叫びが込められた「スピーチレス~心の声」は、凄みがひしひしと伝わり思わず鳥肌が立ったほど。

自立や社会での活躍を叶えたジャスミンは、まさに理想の女性像である。社会を生きる、多くの女性の背中を押してくれる存在だといえるだろう。

他力でも自力でも、三者ともに幸せを手に入れた結末に。次はぜひノーカットで……と書いて締めくくる。

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