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図書室が居場所だった女の子が大人になったら。

今思えば、私は子どもの時、
同年代の子たちの中では割と読書家だったと思う。小中高生の頃は本を読むことが好きだった。

本の世界へ、文字の世界へ、物語の世界へ。

それは、私が笑うことも泣くことも、心を痛めることも、あらゆる感情を感じたり表出することを許される世界に他ならなかった。

人間関係を築いていく上でお手本を知らずに生きてきたから、本の世界の登場人物の言動を擬えた時期もあった。
当然、物語の世界と現実は異なることもたっっっくさんある、めっちゃくちゃな変人になってしまったことも、まあまああった。

でも、

今振り返ると、

どうしていいかわからなかった。


児童書や小説、ライトノベルだけじゃなくて、ノンフィクション、子ども向けに書かれた実用書、一般向けの実用書まで沢山読んだ。

「こんな仕事もあるんだ!」、
「今までの私には想像がつかなかった状況を生きている同年代がいるんだ…」
「こんなお料理、私も作れたらかっこいいだろうなぁ𓈒𓏸 」
まだ小学校と家以外の世界を知らなかった小学生の私は、本を読むことを通して様々な世界と出逢えた。

それからも、

色んな知識を学んでそれを生活に活かせた。
色んな人の生き方を知った。
想像することの面白さに触れられた。
自分の推理力や想像力の無さを感じた。

初めて読んだ時から今に至るまでずうぅっと、
私を支え続けてくれている言葉に
本の世界でも幾度となく出逢えた。

辛い時、苦しい時、
自分が壊れそうで訳わかんなくなった時、
本の世界に逃げ込んだ。

ここは私を否定しない居場所だから、って。


今もメルトダウンしかけたら、本を買う。

最近、再び同じ本を読み返している。


午鳥志季さんの
『君は医者になれない 膠原病内科医・漆原光莉と血嫌い医学生』


以下あまりわかりにくいとは思いますが、若干ネタバレ要素があります…

私は医療従事者でも何でもなくてただの一般市民、一患者だし、膠原病と大きな枠組みでは同じカテゴリーに入る、また別の自己免疫疾患が持病の一つだけど、膠原病内科にはかかったことは無いから、当たり前だけど専門用語はわけワカメ…

それでも、”人の命を預かる”ことの、“人の人生の大切な部分に関わる”ことの怖さは私も知っている。
“人の命を預かっている”
だから、まず、自分の命を自分で守ることが色んな理由で叶わない目の前の相手を死なせてはならない。
でも命あっても、職務の中で簡単に相手(利用者さん等)の人生を狂わせうることだって、ある。

とにかく怖くて、プレッシャーから逃げ出したくて、自分の力量の無さに落ち込み、然るべき決断が出来なかったことに対して後悔し…

人と人で成り立つ仕事だった。だからこそ喜びも笑いもあった。
仕事をしながら沢山学んだし、
相手の存在に救われることもあった。

でも、常に怖さと隣り合わせの日々だった。
怖がっている自分が弱いのではと、
仕事が終わってもぐるぐる悩んで自分を責めることもあった。(まあ私は実際、不安障害に片足突っ込んでるタイプだが。)

でも、血が極度に怖い医学生の戸島くんと膠原病内科医の漆原先生とのやり取りを読んで、
答え合わせをしてもらえたように感じた。

「怖い」と思うことは大切なことだ、と。
それ自体は、何も間違ってはいなかった、と。

「(前略)…大切なのは自分の力と責任を自覚することだ」、「(前略)…大切なのは(中略)…患者から逃げないことだ」

午鳥志季『君は医者になれない 膠原病内科医・漆原光莉と血嫌い医学生』p.258 𝓛.4~5,𝓛.8

医療従事者でもなく、そして途中でドロップアウトしてしまった私にも、この漆原先生の台詞通りに職責を全うすることは、決して簡単なじゃない、それは想像出来る。


起承転結全て、ぼんやり鈍りなまりきっていた頭をぶん殴られるくらいに良い意味で衝撃的で、面白くて、考えさせられるストーリーだった。
そして、あの気持ちの答え合わせを出来て良かった。

余談ですが、
もし、またあの時のように人の命を預かり人の人生の大切な部分に関わる職業に就くなら、
まずは私の生活と持病を安定させて、気持ちを切り替えるスキルも沢山持った方がいいな。
それが、仕事を続けるために何より大切なことだからなぁ、と思います。

以前の呟きで触れたのが、
実は、午鳥志季さんの
『君は医者になれない 膠原病内科医・漆原光莉と血嫌い医学生』のストーリーについて、でした。
(これも余談)


図書室が居場所だった女の子は、
大人になっても本の世界に
時々逃げ込みながら生きています。


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