知らず知らずに"普通"という型に押し込めてしまう残酷さ|〜映画『怪物』を観て
話題の映画『怪物』を観てきた。
安心と信頼の是枝監督、そして坂元裕二脚本の作品。観に行かないわけには行かない。
是枝監督の作品といえば、わたしの中では「色んなかたちの"家族"」が描かれているものが多いし、彼の中の重要なテーマなのだろうなと思っていた。
『海街diary』では両親が不在な3姉妹の生活に、腹違いの妹が加わった姉妹たちの関係性とその生活を
『そして父になる』では、これまで血が繋がっていると思っていた子供が実は全くの人から生まれた子であったという家庭を
『万引き家族』では、これまた全員血の繋がりがない人たちが家族のように身を寄せあって生きていく様子を
もちろんいろんな形の家族というのも一つテーマではあったかもしれない。しかし今回『怪物』では、また少し違うテーマで描かれていたように感じた。
是枝監督は"普通"という枠に人を嵌めてしまうことの残酷さを描いてきたのではないか??
例えば普通の幸せというものが、大学を卒業して会社に就職して、そのうち自分と反対の性別の人と結婚して、子供を作って、というものだったとしよう。
この形の幸せしか知らない、経験してこなかった人にとって、自分の子供にも同じようなかたちで人生を送ることが一番の幸せに違いないと信じて疑わないだろう。
でも本当にそうだろうか。
本当にその子にとって、大学まで進学することが幸せなのだろうか。
結婚して、子供を作ることが幸せ?
自分と反対の性別の人を好きになって、結ばれることがその子にとっての幸せなの??
じゃあ、そうすることができなかったとしたら?その子は不幸なのか。周りから馬鹿にされて、叩かれても仕方がないのか。
親が子を愛する表現の一つとして、「"普通の幸せ"を手に入れてね」と何の悪気もなく言う。でもそれは、その子を親の"普通"に押さえ込んでしまう行為なのかもしれない。
それを言われた子供の方は、自分が親の考える"普通"ではないとわかったときに「自分がおかしい」、「自分が悪い」と罪悪感に苛まれて苦しんでしまう。
誰も悪くないからこそそれが本当に悲しくて、残酷だなと思いました。
そして自分も、もしかしたら誰かを知らず知らずのうちに傷つけていたのかもしれない。
この作品では、ひとつの出来事を色んな人の視点でみていく構成になっている。そうすると同じセリフが登場しても、視点が変わることによって意味合いが全く違うものになっていく。
そこで観客はハッとさせられる。
何の悪気もない言葉が、行為が、誰かを傷つけていることがあるんだと。
是枝監督作品らしく、作品が終わったあとに「で、あなたはこれを観てどう思いましたか?」と問われているような気持ちになりました。
映画感想ってあまり書かないのですが、今回はつい筆をとってしまいました。
それにしても本当に完成度も高く、素晴らしい作品でした。
物語の構成は坂元裕二さんらしく、観客を物語に引き込む工夫が凝らされていて
坂本龍一さんの音楽はぴったりだったし
なによりキャストのみなさんの演技が生々しくて良かったなぁ。
気になってる方はぜひ、映画館で観てほしいです!
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