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金髪とロック

大人ってなんだか鈍臭い。自分がある程度の年齢に達して30代にもなると、いよいよ自分もそちら側になったかと思うようになった。


自分が10代、20代の頃、時々このオッサンみたいにはなりたくねぇなと思う節があった。

22歳で入社した会社で38歳の先輩がいた。職場の雰囲気は20代後半~30代前半が多い中でその人は少し浮いていたように思う。そして仕事の面からしても周りからの評判は良くなかった。

仕事の出来に関してはどうでもいいのだが、僕がその人を敬遠していたことの一つとして、髪の毛を金髪にしていたことだ。


金髪にしていることなど、どうでもいいっちゃどうでもいいのだが、顔には年相応のシワや肌感なのに、髪の毛は金髪というところが僕が普段目にする若者の金髪とは違和感があり、なんとも奇妙に感じた。


僕もそれまでには金髪を経験していたこともあったし、なんなら金髪というものに憧れさえ持っていた。


金髪に憧れていた理由は高校時代に聞いた175Rの影響だ。

確かアルバムの2曲目に入っていた「Golden Head」という歌があって、自分を変えたくて髪の毛を金髪にして、もうオレは自由だぜという歌だった。


僕はこの曲が大好きでバイクに乗りながらイヤホンを耳にブッ刺して全力で歌っていた記憶がある。

それぐらいまでに「金髪=自由の象徴」というのが刷り込まれていた。



なので38歳の先輩がその歳になって金髪にして自由を掲げているような気がして、クソださくてどん臭えなと思っていた。



余談になるが、古い記憶を辿っていると、昔付き合った元カノの古い写真を見せてもらった時、金髪ロングだった時にますますその子を好きになった反面、遠い存在になった気がした。

どうやら僕にとって金髪というのは強い憧れと同時に、尊さを感じているのかもしれない。人は身近なものには粗末に扱う傾向になるし、遠い存在になると尊さを感じるのかもしれない。だから身近な人ほど大切にしろよと誰もが警告するのだ。



金髪以外にも僕が大人ってどん臭えなと思ったことがあと一つある。


僕が26歳ぐらいのことだったと思う。

年末に友達のバンドがライブをするということでライブハウスに行っていた。友達のバンドのついでに対バンの人のライブを見ていたら、他のバンドより年齢層の高い人たちがステージに上がった。

その人たちは30代後半~40代と思われる人たちだった。技術はうまいけど、佇まいとして必死さが無くてなんだか鈍臭く感じた。年齢はともかくヒリヒリすような物を感じたら僕も鈍臭いとは思わなかったけど、単純にああはなりたくないと思った。

僕の中でライブハウスは、音楽というものは10代~20代のものでオーバーサーティーには明け渡せない何かがあると思っている。それぐらい神聖なもので聖域なのだ。


だから若者のフリした年寄りがその聖域に入るのはダセェし鈍臭いとさえ思ってしまう。大人が若者言葉を覚えた途端、若者がその言葉を使わなくなるというのがいい例で、自分たちの遊び場を壊されるのを嫌うのが若者なのだ。



で、僕は30代の半ばにもなるのだが、あろうことか最近は金髪にしたいやら、音楽もしたい欲も否定できないやらで、どうやら鈍臭い大人になりつつある。

大人になれないまま大人になったのが原因か、はたまた懐古的なものかはわからない。


今、金髪にしたとて違和感のある金髪になるかもしれない。

今、ライブハウスに出たところでオッサンのソレになるかもしれない。


だからといって鈍臭い大人を受け入れるほどの言い訳もない。

「お前ら、若いよなぁ」って挨拶言葉のように発するのは口にするのも耳にするのも嫌だ。



あの頃の自分に恥じない大人を模索している。

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