伊坂幸太郎『砂漠』のはなし

伊坂幸太郎の『砂漠』
この小説はわたしにとって本当に大切な作品だ。

この作品に何度も何度も救われて、節目節目で読み返して新しい発見をしながらこの10数年を過ごしてきた。きっとこれからも大切な存在になるのだと思う。

砂漠で迷いそうになったわたしを導いてくれる作品、というよりも、読むタイミングごとにわたしの気持ちや考え方をフラットにしてくれる、そんな存在だと思う。印象的なフレーズやシーンが読み返すことに毎回変わる。それによって自分の属性が変わること、変わったことに気づかせてくれる。

2011年8月3日には既に出会っていたらしい。ブクログに登録されていたのがこの日付だけどこれが最初に読んだ日なのかそれとも過去に読んだ作品をまとめて登録したのか、再読したのかはもうわからない。

1ヶ月前。社会人6年目の5月。
いままで繁忙期だと思っていたのはなんだったのだろう?と思うくらい紛れもない繁忙期を経験した。
本当に心身ともに疲弊した。6月中旬になっても、まだ復活できてないなぁと思いながら騙し騙し毎日仕事に向かっている。疲れのキャリーオーバー、最悪すぎる。

大学時代、ゼミで朝帰りになっても(自分で選んでやってることだしなぁ)と思っていたけれど、仕事に対しては(選んだのはわたしだけど配置までは選べないもんなぁ)と思ってしまった。モチベーションがどん底まで落ちて、やるせない気持ちでいっぱいになっていた。いまもそんなに元気じゃない。


5年くらい前、職場の先輩から「電車に乗ったけど本当に仕事が嫌になった日は午前中休んでスタバでのんびりしてみると案外ストレス発散になる」という話を聞いた。
いつか真似してみたいと思いつつ、午前休にするなら午後休のほうがお得では???と思ったりして機会を逸していた。

で、先日職場の近くで朝の早い時間帯に用事があった。終わってそのまま仕事行きたくないなぁと思い(事前に)午前休を申請した。

スタバの窓際席で行き交う人並みを背景にカフェミストを飲みながら、久しぶりに伊坂幸太郎の『砂漠』を読み終えた。

最初に読んだタイミング。この小説のワンフレーズから将来のことを考えた。高校時代は予備校の自習室でこっそり読んで大学生活への夢を膨らませた。

大学に入って(あれ?砂漠どおりにはならない?)と気づいた。

友人におすすめの本は?と聞かれたらこの小説を勧めていたことが多いのも大学時代だ。もちろん有名な小説だから同じく影響を受けたというひとにも出会った。

同じ小説が好きというだけなのだけど、勝手に"同志"という気持ちになったのを覚えている。この文脈が好きなひとなら信頼できる気がする、みたいなそんな予感。「いい作品だよね〜」以上の何かを感じた者同士だけが築ける関係ってあると思う。


大学2年生のとき、サークルのイベント帰りの車の中。みんな疲れ果てて眠っていたのだけど、運転席の先輩とわたしだけがゆるゆると喋っていた。助手席にいるのに寝るわけにはいかないと耐えていたら、好きな小説の話になったときにお互い砂漠が好きと分かって本当に嬉しかったし、一瞬で目が覚めたし、声も大きくなった。

ゼミの先輩に就活の対策の相談をするときに「なぜその業種を選んだのか?」と聞かれて「好きな小説に出てきて以来わたしは〇〇になると決めていたから」と答えて「理由が弱い!!!それじゃだめだ!!!」と一喝されたり。でも本当なんだよな。
どうしてもきっかけの中でも自分のなかで欠かすことができないパーツだった。
「学生時代に読んだ小説の中に印象的なフレーズがあり、そこから意識するようになって…」というような導入にしていま働いている会社の面接で話したような記憶がある。

学生のうちに砂漠もう1回読むぞ!と意気込んでいたのだけど卒業間近は意外と忙しくて社会人になった週に読み返した。と、インスタの投稿に残っていた。

あの当時まだストーリーズの機能がなかった。だから"本を読み終わった"というちょっとしたことでも残しておきたいなぁと思っても使える機能が普通の投稿しかなかったのか、とインスタの歴史を確認して感慨深くなった。

改めて確認すると、砂漠をおすすめして読んでくれた友人、前述のサークルの先輩、偶然読み終わったばかりのゼミの後輩、砂漠に影響を受けたという友だちの当時の彼氏からのコメントが残っていた。
普段はやり取りしないような属性がバラバラのみなさんから反応があって印象的に残っている。インスタの相互フォローは友人と呼ぶには遠い人もいる。


今回読み終えてからインスタのストーリーで軽く感想を投稿してみたら好きなお店の元スタッフの方がハートで反応してくれた。ひょっとしたらこの作品が好きなのかもしれない。またひとり同志を見つけたような気持ちになって嬉しかった。

この小説に最初に出合った頃のわたしは自分のことを鳥瞰型の人間だと思っていた。そして北村に憧れた。でもそんなことないんだなぁといつの間にか気がついた。

(西嶋のことは大好きだけれど)現実だと関わらないだろうし、少なくてもよっぽどのことがない限り深入りはしないだろうとずっと思っていた。

何かを変えようとして、行動にうつすのは本当に偉大だ。
いまは西嶋に憧れている。

最近、大学時代の友人と会う機会があった。会ったあともいろいろな記憶がよみがえって懐かしんだり、"あのときはよかったな"と思う気持ちが生まれなくもなかった。
あるいは戻ったらどんな風にやり直せるだろうか、それとも諦めて粛々と過ごすしかないのかとか悶々と考えていた。

砂漠を読み返してラストの学長の言葉にギョッとした。そして反省した。
【そうはなりたくない】と思っていた考え方に近付いてしまっていて恐ろしくなった。
軌道修正したい。そう思わせてくれる力がこの作品にはある。

学生時代に思い描いていた社会とは違うなぁといまは思う。それこそこんなに小さな組織が変わらないんだから世の中なんて変わるわけない。そんなやるせない気持ちになる。
でも、いろいろなことを諦めて心を無にして日々を過ごすのはいまの自分には難しい。そう簡単には切り替えられない。

就職先を決めるとき、オアシスの中で砂漠のことを必死に想像したわたしは、【◯年後の自分が後悔するかもしれないけれど、あの時点で考え抜いた上で最善の選択をしたと思えるような選択肢を選ぼう】と思っていた。

あの頃の自分をがっかりさせるのは嫌だという気持ちを今回読み返して思い出させてくれた。



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