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運動が苦手で運動部に入らなかった当時を振り返る

小学校は理科研究部。中学校はコンピュータ部。運動部をことごとく避けてきた理由は、運動が苦手だったというその一点に尽きます。


学校で運動の楽しさは教えてもらえない?

これは前々から思っているのですが、学校で運動の楽しさは教えてもらえないと思っています。小学校はまだしも、中高になると大会(甲子園とかインターハイとか)がつきもので、大会で勝つために、あるいはレギュラーを勝ち取るために頑張る、みたいなイメージを(勝手に)持っています。それって、元々運動がそこそこできる人、運動の楽しさを知っている人にとってはいいのですが、そうでないと全く面白くありません。

理科研究部はいいぞ

その点、理科研究部はいいぞ。スライム作ったりカルメ焼き作ったりしてワイワイ楽しくやればいい。そこに勝負なんてありません。

もちろんスライムが固まる理屈に興味が持てれば言うことはありませんが、小学生ですからみんな面白がって作るだけです。理屈っぽい話が苦手な子供が理屈ばかりこねられても苦痛でしかなく、それで理科嫌いになっては元も子もありません。理科の先生は、理屈が分かったほうが楽しいから知ってほしい、と思うでしょうが、それは「理科が得意な人の意見」でしょう。

学校教育の影響は根深い

しかしなぜ運動部となると勝負事になってしまうのか。体育の授業だって、体の使い方などもろくに教えてもらえないのに、スポーツテストなど実技で成績がつきます。それは面白くないはずです。そんな学校生活を送ったツケによって、社会人になるまで運動全般に全く興味が持てませんでした。大学生の頃、講義のシラバスを見ていると、スポーツ系の実技科目に「サイクリング」の科目があって、面白そうだと一瞬思いましたが、「こんな運動音痴な自分が単位を取れるわけがない」「足を引っ張りそうだ」と思って結局履修せずに終わりました。もう運動と名のつくものすべてに自信が持てないのです。昔の嫌な思い出って根深いですよね。

とはいえ学校という性質上、致し方ない部分もあるとは思います。学校の先生は指導要領に基づいて「正しく」教えないといけないわけですので、「自分も今勉強中なので」と言いながら人に教えるわけにはいきません。運動が苦手な体育の先生は、おそらくレアな存在。そうすると、必然的に得意な人の気持ちは分かるが、苦手な人の気持ちは分からないということになるのではないでしょうか。

純粋に運動を楽しむことはできるはず

しかし勝負なしに運動は成立しないのか?決してそんなことはないと、今となっては思います。

さっきの話はあくまで学校での話。社会人になれば草野球チームでプレイする人はいくらでもいます。うちの母親は昔ママさんバレーをやっていましたが、たまに地域の大会に出ることこそあっても、基本は体を動かしつつ親睦を深めるスタンスだという印象があります。マラソンも趣味で走る市民ランナーは多く、「皇居ラン」(皇居の周囲を走る)という言葉があるくらいです。

趣味の活動といっても、多くの場合に大会はあります。しかし必ずしも勝負にこだわらなくてよいのです。チーム間の交流に重点を置くもよし、大会という場に特有の高揚感を味わうもよし、自己記録の更新に達成感を味わうもよし、です。

こうした、純粋にスポーツを楽しむために活動する「草◯◯部」では、部長やリーダーを決めたとしても、その人がプロであったり、一番上手い人であったりする必要はないでしょう。部長も含めてみんなで一緒に楽しみましょうというスタンスが、社会人なら可能なのです。

何より自分自身が

そして何より自分自身も、あれだけ運動部を避けていたのに、今では会社のランニング練習に顔を出すくらいには自主的に運動しているのです。そもそものきっかけはギックリ腰という笑えないものだったりしますが、ジム通いも含めて、運動を始めてからは腰を痛めないで済んでいるので、効果はあるのではないでしょうか。

そんな自分が運動部未経験からランニングを始めて1年ほど経ち、最近は状況が思わぬ方向に展開してきました。その話は近日中に書こうかなと思います。(続く?)