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自分が選ばなかった選択肢のよさを考える

今年度ありがたいことに校内、校外に関わらずいろんな学級の授業を見させていただく機会がたくさんあります。いろんな学級、授業を見せていただくことは、ぼくにたくさんの学びをもたらしてくれます。やはり授業を見る・見てもらうことは授業力を高めるためには大切なことだなぁと日々感じています。

しかし、3年目くらいまでのぼくは恥ずかしいことに授業を見ても何も自分の考えが出てきませんでした。つまり何も考えずに見ていたということです。何も考えずに授業を見ても、学ぶことは非常に少なくなってしまいます。この頃のぼくは自分の授業が伸びている感覚も全くありませんでした。

こんな過去があるぼくですが今は研究授業に関わらず、授業を見る中で自分の考えを持つことができるようになりました。単純に知識が増えたこともあるかと思いますが、特に最近授業を見る際に意識していることがあるので、今回はそのことについてお話ししていこうと思います。

「自分ならどうするか?」

授業を見ている中で、「この場面で自分ならどうするか」「もっとこうした方がよいのではないか」と考えることはとても大切だと思います。「ここがダメだった」「ここから流れが止まってしまった」など批判することで留まっていては、ただ文句を言っているのとあまり変わりません。十分な意見でなくても、「こういう手立てはどうかな?と思っています」くらいは考えることが大事だと思います。

ただ、この考え方は多くの人が意識していることだと思います。「自分ならどうするか?」と考えることは大事だという話もよく聞きます。それに加えてぼくはタイトルにあるように、自分が選ばなかった考えに対して「その選択肢のよさは何か?」と考えることも大切だと思います。

「自分が選ばなかった選択肢のよさは?」

例えば、授業者がノートではなくワークシートを選んで授業を行ったとします。自分は「ノートを使う方がいいと思うな」と考えているとします。これが前述した「自分ならどうするか?」という部分だと思います。

ここからさらに、「ワークシートを使うよさはなんだろう?」と考えてみます。そうすると、「ノートと違って書き方が統一されているので、書かせたいことを焦点化できる」「(先にめあてを記入しているなら)めあてを書く時間を短縮し、主な学習活動の時間を確保できる」「集めたときにかさばらず、職員室に持って行きやすい(これは先生にとってのよさですね)」などなど…。様々なよさが出てくることでしょう。そうすることで、それぞれのよさを比較した上で自分の考え(ノートの方がいいなど)をつくることができます

そもそも「自分の考えが絶対正しい」なんてことはほぼないと思っています。もしかしたら偏った考えをしていたり思い込んでいたりするのに気づいてないだけかもしれません。もしそうなら他の可能性、つまり「よりよい」を見逃してしまうかもしれないと思いませんか?

自分が選ばなかったからといってその方法が悪いというわけではないかもしれない。そんなことを頭に入れておくことで、授業を見る際に学ぶことが段違いに増えます。自分とは違う考えのよさを考え、自分の考えと比較する中で、自分の考えのよさや足りなさに気づくことができるようになります。

ひとりごと

今回は授業を見る際の視点として、「自分の選ばなかった選択肢のよさを考える」ということについてお話ししました。この内容は授業を見るときだけでなく、同僚とのやりとりなど様々なシーンでも大事にしたいと思っていることです。(つい、自分の考えばかりを押しつけようとしてしまうところがあるので日々反省です…)

みなさんは授業を見るとき、人と関わるときに大切にされていることはなんですか?よかったらコメントで教えてください📚


ぶっく📚


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