見出し画像

おじさんクリエーターの呟きとボヤキ:2日本のクリエイティブの価値とコストは?どうなの・・・

■クリエイティブの価格って誰が決めるんだろう?
このタイトルにある疑問って・・・皆さん、感じませんか?
TV番組にもありますが、提出者もよく分からない絵画とか陶器などが
高額な価格で評価されているとか、海外のオークションで
一見なんてことなく感じる絵画がとんでもない価格をたたき出すなど、
その価値をどの様に値踏みするのか? 自分自身、全く想像も出来ませんし
理解も出来ません。
絵画や陶器などは、いわゆるアートと呼ばれますが、結局はクリエイティブ
領域なので、この価値と価格って不可思議な関係にあるな~と常々感じて
きました。
私が勤めた企業は製造業で、積極的なマーケティング活動を行っていますが
最終的なお客様との関係性をつなぐモノとして商品デザイン、広告の企画で
クリエイティブを大活用しています。そのクリエイティブが提供する価値に
相応しい価格・コストが支払われているのか?
さらに・・・どこで、誰が値付けしているのでしょうね~???
ブツブツと呟くようにボヤキ話を進めたいと思います。

■デザイン費は、開発予算が決める?
このタイトルで、なんじゃい?!そうなの!と思われた方が少なからず
いらっしゃると思います。
私は、製造業の中でクリエーター&デザイナーとして仕事していましたが
特にパッケージデザイン開発費については、いつ制定したのか定かでは無い
ざくっとした価格表が入社したときに既に存在していました。
それを一つの基準にしながらプロダクションと商品デザインの開発にかかる
価格をその都度交渉し決めていました。
当然、時代時代に合わせて価格改訂は進められていましたが、特に大きな
改訂はデジタル化の波による、従来手書きされていたデザインスケッチが
コンピューターで作画されカラープリンターで出力されたモノに変わった
ときの価格の時は、プロダクションの業務プロセスが変わるので、価格を
定めることが困難を極めました。
ジリジリとトータルの価格は、時代と共に上昇していきましたが,
我々がデザインの貢献度を価格に反映しようと社内交渉しても、最終的な
価格を決めるのは、マーケッターがデザイン開発に掛けられる予算でした。
新製品はまだしも、発売後の販売状況が芳しくない商品のデザインの改良
改善費はかなり厳しいものでした。マーケッターも無い袖は振れない、
でも、生き延びる為にはデザインの改訂が必要で、結局少ないデザイン費で
プロダクションの皆さまにはご苦労をおかけしました。
(勿論、自分もデザインラフスケッチは描きましたが・・・)その様に、
数えられないほど厳しいデザイン開発費で、もどかしい思いをしました。
社内クリエーターも、売り上げと予算を聞かされると、何も言えなくなる
普通の企業人でしたね。

■デザイン費が発生しない?タダ・・・?!
さらに、パッケージデザインには、ビックリするような話があります。
それは、印刷の機械を回転させるために、デザイナーを雇い入れ
デザイン費用を極力発生させずに、デザインとセットにして印刷の受注を
受けるというものでした。
自分自身も、本当なの?と若い頃、印刷会社の営業さんに聞いたことが
ありますが否定されませんでした。現在も、かなり近いことは行われている
ことのようです。これも企業戦略の一つと考えれば、当然なされることだと
思います。しかし、クリエイティブの側面から見ればとんでもないことで
クリエイティブの価値が消えてしまうのです。
私が美大生の時の教授は、日本デザイン創成期にバリバリ活躍されていた
方で、当時はデザインがもてはやされ、羽振りが良く赤いスポーツカーに
乗っていたと話をしていました。私が中学生の時にデザインの道を志した
のも、デザイナーがカッコ良く、社会を魅力的に豊かにする、素敵な仕事に
思えたからです。
しかし、自分がデザイナーに成れた時には、その感覚は見当たらず、勿論
名の通ったデザイナーはそれなりの評価でしたが、名も無き実績の乏しい
多くのデザイナーは好きなコトを仕事にしたことが起因するのか?低価格の
案件でも黙々と何も語らず引き受けるという環境に激変していました。

私自身も、企業に所属しましたので発注者側にいましたが、社内では年配
マーケッターに「ポンチ絵、書いてよ」と言われ、ポンチ絵って何?と
当時思いましたし、「パパッと書けるでしょう?」と言われる始末。
デザインは意図もたやすく出現するモノ!?まるで“打ち出の小槌”から
いくらでも出てくるモノ、安価なモノに思われていて、発注者側であろうと
デザイン・・・クリエイティブに対する見方は、社外も社内も変わる状況では
無かったと感じました。

■海外で感じるクリエーターの価値とは?
30歳のころ、先輩が築き上げたアメリカ・NYでのCM撮影のチャンスに
恵まれました。数商品のCM製作費を合算し総額交渉することで、撮影に
こぎ着けるというものでした。単純にアメリカの制作コストが高いと言う
ことだけではなく、かかるコストそのものに対する価値意識の高さにも
驚きました。
例えば演出コンテの1カット、1カットの意味についてしっかり議論して、
相互の理解と納得が得られてやっと撮影にこぎ着けるのです。
何故かと言うと“曖昧さ”を無くしてプロフェッショナルの仕事にするため
だと、現場を見ていて感じましたし明らかに想定以上の価値を生み出して
いました。日本にシズルCMを持ち込む画期的な仕事になりました。さらに
5年ほど前に、汐留にある広告会社のクリエーターと自分が赴任していた
タイ・バンコクに行った時の出来事です。現地の広告会社や制作会社、
編集スタジオなど自分もお世話になったところを訪問し、CM映像や
グラフィック作品を見せてもらったり、業務の内容の説明を受けている
中で、一緒に訪問したそのクリエーターが感じたらしく、「タイの
クリエーターの社会的な立場が日本と全く異なる、社会的な評価が高い」
と言いだしました。タイのクリエーターの立ち振る舞い、オフィスの環境
も含めてさまざま感じたようです。
そのクリエイティブが生み出した価値が、社会の進化・変革に役立っている
その現状を感じ、同じクリエーターとして心を動かされたようです。

■石を投げれば、デザイナー・クリエーターに当たる?
毎年増加する美術系大学、専門学校からの卒業する方々や、その様な学びは
ないけれど好きで極めている方など、デザイナー、クリエーターはたくさん
存在しますよね。最近はWEB系のクリエーターも増えて、需要と供給で
考えれば恐らく供給過多なのかもしれません。
日本のアニメーターが中国のアニメ会社の下請けをしているとのTV報道を
見ましたが、単に技術だけでなくコスト面においても、前にも書きましたが
好きなコトを仕事にしてしまったことによる、多少の厳しさは容認する
というか自ら価値の安売りを余儀なくされる、ブラックな環境が横たわって
いるのかもしれないな~と感じました。

■クリエイティブ壁を壊そう!?
企業の中にいて、決して開発費が無いわけではないと思いますが、見えない
価値に投資する概念がどうも乏しいのではないかな~と考えてしまいます。
私が社内で、マーケッターにパッケージデザインのプレゼンテーションを
行い、担当者のコメントの後に、その担当者の上司にコメントを求めると
「私は、こういったデザインのセンス・感性が無いので・・・」といった
枕言葉を必ずつけて、あ~だ、こ~だと感想と持論をお話しされますが、
結局、結論としてちゃんと評価されないことが多くありました。
苦手意識が災いするのか?クリエイティブに関して全く意識を向けて
もらえていないと感じるところです。
クリエイティブは出来る人がするもの・・・だからクリエイティブに対する
理解が深まらない。クリエイティブが生み出す価値を理解出来ないし、
理解しようとしない、しなくても仕事は出来ていた。そんな現状だから
デザインが効果を発揮し売れたとしても、広告の企画が良くてお客様を
動かしたとしても、その評価はその時限りでしか受け取られない状況が
延々と続いてきたのだと振り返ります。
やはり、クリエーターが呟いてボヤいているだけでは、何も変わらない
ようですね~。
しかも、クリエーターもこのままで良いと思っているのだろうか?
クリエーターも、思考が多様で、職人的思考もあれば、マーケ的思考もあり
決して同じではないというのもありますが・・・。
しかし、多くの方々が感じている、見えないクリエイティブ壁は、どうも
存在しているようです。
よく言われるBlack BoxがBlack wallにもなっているのかもしれません。
クリエーター自らが、この居心地の良い壁の向こう側から、仕事の時だけ
出てくるのではなく、もっともっとマーケッター始め、多くの方々と
語り、共有しないと、クリエイティブ壁は崩れず、クリエイティブの価値の
相互理解、再構築は訪れないのかもしれませんね~。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?