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読書「死にたいけどトッポッキは食べたい」〜自分を受け入れていく過程に〜

本屋さんでふと手にとった時、なんとなく手放してしまった本。
でも、ずっとざわざわしていた。買えばよかったかなあと・・・。
そこから数ヶ月。
Podcast番組「真夜中の読書会〜おしゃべりな図書室〜」で紹介されていて、そのまま本屋さんに直行した。
やっぱり今読むべき本な気がして。

「死にたいけどトッポッキは食べたい」
ペク・セヒ 著
山口ミル 訳

これは気分変調障害を持つ主人公の治療の記録。
話は主人公と、その主治医の先生の対話で進んでいく。
まず気分変調障害とは、ひどい憂鬱症状を見せる主要憂鬱障害とは違い、軽い鬱条症状が続く状態のことだそう。

自分がそうなのかはわからないけど、書いてあることに「なるほどな」と納得、共感できる部分があった。
正直、全てが全て自分に当てはまるわけではないし、全てに共感できるわけではない。(これは「おしゃべりな図書室」のばたやんさんも言っていたと思う)
でも、要所要所に、ハッとさせられた。

極端に決め付けてしまう、ヤマアラシ

白か黒か。極端に考えてしまう。決め付けてしまう。
それが故に自分から遠ざかり、離れてしまった人がどれくらいいただろう。
「お前が何考えてんのか、よくわかんねえよ」なんて、学生時代に言われたことがあったっけ。
いつの間にかシャッターを閉じようとしていたからかもしれない、自分自身から。

人間関係が不器用だなと感じることは多くて。
人にはそうやって距離をとったりするくせに、心を許した相手には甘えすぎて、その度が過ぎるとぞんざいに扱ってしまう。
あぁ、あれは依存だったのか。悲しいけれど、納得せざるをえない・・・。
耳が痛い。辛い。
”ヤマアラシのジレンマ”。聞いたことはあったけど、ジブンゴト(もう古い?)として落とし込むことができていなかった。まさに自分のことだったとは・・・。

そうやって、少し前の、苦い思い出を反芻していた。
自分のことを少し客観的に見るきっかけにもなったかもしれない。そう感じる。

「私たちには修飾語がくっついている」

これは最近感じていた違和感。
とあるプロジェクトのメンバーに入れられたのだけど、その理由が
「若いから」
だった。
正直、そのプロジェクト内容は私の苦手分野だった。だが、
「若いんだから、新しいアイデアがあるでしょう」
そういう前提で任命された。
なんとかしようと頑張ってみた。苦手なりに色々案を出してみたが、やはりだめだった。力不足。申し訳なかった。
その頃仕事が順調だっただけに、少し凹んだ。(本当は少しじゃない)
そしてこの本の中に、同じようなことが書いてあって食いいるように読んでしまった。
主人公が感じたプレッシャー、そしてひっかかった”「若い」アイディア”という言葉。
「私たちにはいつも修飾語がくっついている」
目から鱗だった。
私も、いろいろな修飾語に苦しんでいた。
若い、女性、理系、〇〇大学卒、既婚、未婚、・・・
どれが私を表すものなの?どれも私自身を表すものではない。
それらは過程や小さなある決まったカテゴライズのひとつなだけで、私のアウトプットではない。
修飾語で飾られた私ではなく、ありのままの私でいたい。私もそう望んでいる。

最後に

爽快感を求める人には向かない本かもしれない。
でも、自分自身をじっくり見つめたい、考えたい。そんなとき、一緒に考えてくれる本かもしれない。一緒に考える、悩んでみる。
でも、私はひとりじゃないんだなって、心のどこかがほっとする。そんな本だと思います。
読書仲間が一人でも増えると嬉しいです。



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