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李白「清平調詩」。楊貴妃ってどんな美人さんだったんだろー?

またまた「中国古典名言辞典」より。
只今、「唐詩選」のところ。

群玉山頭ぐんぎょくさんとうにて見るにあらずんば、かならずや瑶台月下ようだいげっかおいわん。

若非群玉山頭見 会向瑤台月下逢 (七言絶句 李白「清平調詩一」)

楊貴妃のような美人は、しょせん下界の人とは思われない。群玉山に住んでいる仙女か、そうでなければ、瑤台に住んでいる仙女であろう。(李白りはく清平調詩せいちょうし一」)
清平調はこの詩にはじまって楽府がふの名となる。
玄宗げんそう皇帝が楊貴妃と長安の牡丹苑ぼたんえんで遊んだとき、李白に命じて作らせた詩。李白はすでに酒に酔っていたが、早速三首作った。そのなかの一首。「群玉山」は西王母せいおうぼという仙女が住んでいた山。「瑤台」には有娀氏ゆうじゅうしという仙女が住んでいた。

李白701年~762年。中国の盛唐の時代の詩人。中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。詩仙。
楽府音楽を司る役所としての名称であったが、その後は楽府において集められた歌謡そのものをさす言葉となった。
西王母中国で古くから信仰された女仙、女神。🍑
有娀氏→?

一枝いっし濃艶露香のうえんつゆこうらす。雲雨巫山うんうふざんみだりに断腸だんちょう

一枝濃艶露凝香 雲雨巫山枉断腸 (七言絶句 李白「清平調詩二」)

楊貴妃のあでやかな姿は、濃艶な牡丹ぼたんの花が香をこめて露にぬれているようである。この美妃を見ると、むかし、懐王かいおう(のちには襄王じょうおう)が、雲となり雨となった仙女に心を奪われ断腸の思いをしたというのも、ばからしい話に思われる。それ以上の美人がここにいる。(李白りはく清平調詩せいちょうし二」)

懐王中国戦国時代の楚の王(在位:紀元前328年 - 紀元前299年)。没年前296年。
雲雨巫山男女が夢の中で結ばれること、また、男女の情愛のこまやかなこと、情交を結ぶことのたとえ。(朝雲暮雨)、仙女は西王母か?


「清平調詩」李白

(一)
雲想衣裳花想容くもにはいしょうをおもいはなにはようをおもう 春風払檻露華濃しゅんぷうおぼしまをはらってろかこまやかなり
若非群玉山頭見もしぐんぎょくさんとうにてみるにあらずんば 会向瑤台月下逢かならずやようだいげっかにおいてあわん

(二)
一枝濃艶露凝香いっしののうえんつゆこうをこらす 雲雨巫山枉断腸うんうふざんみだりにだんちょう
借問漢宮誰得似しゃもんすかんきゅうたれかにたるをえん 可憐飛燕倚新粧かれんのひえんしんしょうによる

(三)
名花傾国両相歓めいかけいこくふたつながらあいよろこぶ 常得君王帯笑看つねにくんのうのえみをおびてみるをえたり
解釈春風無限恨しゅんぷうむげんのかいしゃくして 沈香亭北倚蘭干ちんこうていほくらんかんによる


【楊貴妃】
→719年~756年。中国唐代の皇妃。玄宗皇帝の寵姫。傾国の美女。世界三大美人の一人で古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)の一人。実際は豊満な女性? 才知があり、音楽や舞踊に多大な才能を有していた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/楊貴妃

楊貴妃……
どんな美人さんだったんだろー。
やせ型でなく、豊満?

(想像、深キョンくらいの肉付きか?)

結局、どんなんかわからんけど、
魅力的だったのは確かなんだろう。
傾国の美女ってもんを拝んでみたいよ。

(でも、その時のボスの好みによるから一般的な美女じゃないかも?)

そんで、この李白の詩だと、
仙女の類、また、
「濃艶な牡丹の花が香をこめて露にぬれているよう」だと。

ま、ボスの女には最大限の誉め言葉を述べるよな。
でも、酔ってるのにサラッとこんな言葉が出てくるのは、
やはり詩仙・李白がすごいのか。

ということで、李白「清平調詩」ですた~。゜。


★\(^^)/☆

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