見出し画像

【ペライチ小説】_『娘帰る』_26枚目

「ねえ、真紀ちゃん」

 早稲田通りに差し掛かったとき、おばあちゃんが改まった様子で声をかけてきた。振り向き見ると、厳つく、難しい顔をしていた。

「どうしたの」

「いや、別に、大したことじゃないよ。ほら、今日、お母さんとのこと、いろいろ話したわけでしょ。ただ、まだ不確定なことも多いから、なんというか、あんまりねえ。誤解があってもよくないし、タイミングもあれだし、なんというか、けっこう繊細なことでもあるし、そういうのって、難しいでしょう。つまり、わかるよね、だいたい」

「わからないよ、全然」

 おばあちゃんは誤魔化すように笑った。どう考えてもモヤモヤしていた。このまま「おやすみ」と言ってしまったら、お互い寝つきが悪くなりそうだった。

 一応、わたしも大人だし、わからないなりにだいたい察しはついていたので、優しさから、

「安心して。お母さんにはなんにも言わない」

 と、できる限り明るく笑顔で宣言してみた。

「え。ああ、そう。それならそれでいいというか、別に、お母さんに話してほしくないってわけじゃなくて、単純に、あんまりねえ。そういうのって、話さない方がいいでしょう。普通はねぇ」

 悩み事が解決したのか、おばあちゃんの足取りはあからさまに軽くなった。サンダルのまま、さらについてきてくれそうな勢いだった。でも、相変わらずゴホンゴホンと咳き込んでいたので、

「もう大丈夫だよ。いろいろ、ありがとね」

 と、お礼を伝え、ここらで帰ってもらうことにした。

 そこまでは実に順風満帆なお別れだった。故に、わたしは「またね」と気楽に挨拶し、とりあえず、東西線に乗り込んでしまうべきだった。そうしていれば順風は満帆であり続けていたに違いなかった。なのに、余計な一言を。言わなくていい一言を。わたしは冗談のつもりで口にしてしまった。

「わたしたち、血がつながってないって嘘みたいだよね」

 おばあちゃんの瞳は例の如く真っ黒に淀み始めた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?