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【映画感想文】ハラスメントを告発されたとき、わたしたちはどうするべきか - 『TAR/ター』監督: トッド・フィールド

 観たいと思っていたけど、なんやかんやと忙しく、結局、映画館に行けなかった『TAR/ター』がAmazonプライムで配信されていた。なんというか、凄まじかった。

 主人公があるリディア・ターは天才的な指揮者。女性初の偉業をいくつも成し遂げている上に、レズビアンを公表し、女性パートナーと結婚し、養女を育てるなど時代を象徴するような人物。だが、同時に、権力が集中しているせいでハラスメントを訴えられる事態となる。

 フィクションだけど、才能あるものがどんどん偉くなっていき、本人の意識では大した言動のつもりじゃなくても、まわりの人たちを傷つけてしまう描写はリアリティがあった。そして、従来、このような内容は被害者側の視点で語られることが多かったけれど、全編、加害者視点なのはとてもユニーク。これは劇場で見ておくべき作品だった。

 とにかく、ラストシーンが半端ない。まだ見ていない人はぜひ見てほしい。そして、見た人とはあれがハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、ぜひぜひ意見を交換したい。

 ちなみに、この問いは公式サイトでも取り上げられている。ネタバレ注意の企画として、試写会を見た人にアンケート調査を行なったらしい。結果はハッピーエンドが32%、バッドエンドが50%、どちらでもないが18%だったそうだ。

 ちなみにわたしは断然ハッピーエンド派。こんなにも素晴らしい結末は他にないと心が震えた。人間、こうでなくっちゃと嬉しくなった。

 ハラスメントを告発された著名人のその後をわたしたちはほとんど知らない。叩かれているときは炎上を報じるニュースで大騒ぎ。どんなにクソ野郎だったか、好むと好まざるのにかかわらず、メディアが情報を押しつけてくる。しかし、表舞台からフェードアウトしたら打って変わって、完全無視。もはや死んだと同じ扱いとなる。

 それは因果応報なのかもしれない。自業自得なのかもしれない。刑事事件になっていなかったとしても、常識に反していたのであれば、なんらかの罰を受けるべきと多くの人が考えている。だから、どんなに才能があったとしても、問題のある人物がスターであり続けることは許されない。

 偉い人が偉いポジションから追いやられる状況を見て、愚かだなぁと我々は思ってしまう、転落劇と称したくなってしまう。

 だが、本当にそうなのだろうか。

 わたしはひとつの疑問を覚える。スポットライトを浴びる場所から追い出されることが不幸であるならば、幸せとは人々から称賛されることになるまいか。つまり、誰かに褒められることでしか、幸せを認識できないということになってしまう。

 なるほど。そういう人もいるだろう。いや、なんなら、まわりに肯定されることでしか、自分の存在意義を見出せない心境はありふれている。故に、みんな、何者かになりたがっている。スポーツで活躍したり、いい大学を目指したり、尊敬される仕事をしたいと望んでいる。羨ましがられる結婚をしたり、憧れの家に住んだり、凄いと言われる子育てに精を出すのはそのためだ。

 ただ、冷静に考えると、これってめちゃくちゃ変ではないか。だって、まわりの評価に合わせる限り、自分の価値観はいつだって二の次、三の次にせざるを得ない。それって、自分の人生を生きているって言えるのだろうか?

 リディア・ターは音楽が好きだった。そうじゃなければ、世界トップレベルの指揮者になんてなれるわけない。まさかハラスメントをするために偉くなったはずはなく、だとしたら、ハラスメントをしてしまうほど偉くなってしまった事実こそ、リディア・ターの不幸なのではあるまいか。

 きっと、これはリディア・ターだけの問題ではない。というのも、あらゆるハラスメントは加害者と被害者の間に非対称的な権力構造が存在していることに起因するから。逆に言えば、権力さえなければハラスメントは生じない。

 拒否できない。注意できない。我慢するしかない。こういう「〜ない」の蓄積がハラスメントの正体であり、常に、有機的な現象として観測される。従って、普遍的な基準は存在せず、いつだって当事者同士の関係性に依存している。

 ハラスメントを告発された時点で、弁明の余地がないのはそのためだ。そりゃ、本人としては「〇〇しただけ」と説明したくなるだろう。でも、別に、なにをしたかは重要じゃない。所属している組織のメンバーからノーを突きつけられた。その不可逆的な結論がすべてであるから、なにがあろうと元の通りには戻らない。

 じゃあ、どうすればいいのか。ことは簡単。加害者になってしまったら、すぐに権力の座から降りればいい。

 権力者が権力にしがみつこうとしなければ、すべてのハラスメントは簡単に解決する。もちろん、これは暴論だ。権力者は権力にしがみつくから、権力者なのである。そして、権力を失ったら、ただの人になってしまうため、必死で権力を維持しようと努める。

 だいたい、ハラスメントにしたって、加害者がしたくてしているのかずいぶん怪しい。むしろ、嫌がらせをしても嫌がられないという事象を通して、自分の権力を確認しているだけなのではあるまいか。

 なにせ、権力は目に見えない。普通だったらアウトなことをやってみて、なぜかセーフで見過ごされるときにしか、人は己の権力を実感できない。「俺はこんなこともできるのか」と不可能を可能にした感慨の中に権力の本質がある。ひょっとしたら、権力者が無意味にハラスメントを次から次へと繰り返してしまうのは、自分が本当に権力者なのか、自信がないからなのかもしれない。

 してみると、わたしは権力者という生き方が哀れに思えて仕方ない。なまじっか権力者になってしまったばかりに、自壊するまで権力に振り回されてしまうんだもの。もはや、そこに自分の意志など存在しない。だったら、権力者であることは不幸である。

 なので、ハラスメントを告発されるや否や、反論せず、権力者は即座に権力者を辞めた方がいい。正しいとか、正しくないとか、そういう問題では全然なくて、そうした方が関係者全員が救われる可能性があるから。

 特に、ポイントは加害者も助かるという点にある。現状、権力者の多くは権力を維持する必要があると勘違いしている。そして、それがハラスメントにつながっているとわたしは推測している。ならば、権力者が無理に権力を維持する必要はないだと気がついたとすれば、世の中は大きく変わるかもしれない。

 権力は爆弾ゲームの爆弾みたいなもの。順番に回ってくるし、それを持っている間はみんなから注目される。ただ、持ち続けている限り、いつかは破滅するしかない。できるだけ早く手元から離して、他の誰かに渡してあげよう。

 そんな風に認識が改められれば、より多くの人がチャンスを掴めるようになる。理不尽な思いをしなくて済む。そして、権力者になってしまっても、再び、自分の人生を取り戻すことができるはず。

 映画『TAR/ ター』を見て、そんな夢みたいなことを想像した。わたしにとっては最高のハッピーエンドだった。

 



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