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【マシュマロ】男性が「稼ぐ性」から降りることは逃避なのか?

 マシュマロに質問を頂きました。

内容を読む限り、ここで言う男性・女性は生物学的な性ではなく、社会的な性、つまり、ジェンダーを意味していますね。

共働き世帯が7割に達したとはいえ、未だ、男性が外で働き、女性が家事や育児を行う方がいいというジェンダー・バイアスは残り続けています。

そのため、「稼ぐ性」という言葉が表すように、現代日本で男性として生きることは多くのプレッシャーを伴ってきました。

なにせ、健康的な肉体を育み、仕事でバリバリ活躍することが求められますからね。しかも、このマッチョイズム競争を拒否する男性は「男らしくない」と罵られてしまう。なんて理不尽なんでしょう!

この勝手な押し付けは長いこと、「責任」というマジックワードで誤魔化されてきました。結果、「稼ぐ性」から降りることは「逃避」扱いされてきたのです。

ただ、冷静に考えて、「逃避」でもなんでもないんですよね。無理な要求に対して、無理なものは無理とNOを突きつけているだけだもの。そっちが「男らしくない」って言うんだったら、こっちから男を捨ててやるよ! と。

従って、ここで言う「逃避願望」とはジェンダー・バイアスへの抵抗なんだと思います。

これについては、古典になりつつありますが、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル: フェミニズムとアイデンティティの攪乱』がおすすめです。

バトラーはペニスとヴァギナの解剖学的共通性を提示し、生物学上の性差すらジェンダーに基づいていると主張します。そして、欲望する主体および対象を男女で区分けすることは自明でないと言うのです。

この考え方によって、かつては生物学上の性差から連帯を避けてきたレズビアンとゲイが力を合わせ、性的マイノリティという大きな集団を形成。政治的に力を持てるようになりました。いわゆるLGBTQ運動の始まりです。理論的支柱になったのです。

(追記:「始まりです」という書き方は正確じゃなかったです。80年代後半から運動時代は起こっていたので。「理論的支柱になったのです」という言い方にすべきでした。すみません)

なお、中性的な魅力に親密な関係を望む気持ちについては、レオ・ベルサーニ&アダム・フィリップスの『親密性』という本がおすすめです。

どんな愛もナルシスティックなものであり、境界を侵犯しようとする点で暴力的である。だから、そうじゃない形で他者と結びつく方法を見つけたいよね、という内容の本です。

恐らく、追伸で頂いた内容にも関わってくると思います。文字数の関係上、こちらについては次回、お答えいたします!




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