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【映画感想文】アキ・カウリスマキって昭和のコメディ映画だったのか?! 客席がクスクス笑っている衝撃 - 『枯れ葉』監督: アキ・カウリスマキ

 アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を見てきた。

 新宿シネマカリテ。金曜の昼過ぎ。客席はいっぱいだった。ほとんどが人生の大先輩たち。

 意外だったのは、男性も女性も、同性の友だちと二人連れで来ていたこと。幕間の時間、漏れ聞こえてくる会話が楽しげで、なんだか不思議な感覚だった。

 わたしにとってアキ・カウリスマキは孤独の象徴。というのも、中学生の頃、部活をサボって近所の映画館に入り浸ってはいいものの、お金がなくなり困った挙句、図書館で貸し出しているビデオに頼った際、どハマりしたのがアキ・カウリスマキだったから。

 もちろん、そのときのわたしはフィンランド映画になんて興味はなく、ただ、『マッチ工場の少女』というタイトルに惹かれ、なんとなく手に取ってしまっただけだった。でも、夜中、家族が寝静まった後、リビングのテレビにヘッドフォンを挿し込み、不幸な少女のイノセントな復讐劇を目の当たりにして、ぽーっと心を奪われてしまった。

 いまで言えば、あれは「エモい」だったんだと思う。徹底して暗い画面。うつむき続ける登場人物。セリフは常に一方向で、誰もリアクションを取らないアンニュイな雰囲気。しかし、色彩は原色にあふれ、音楽はロックンロールと演歌調。ひたすら、酒とタバコがあふれる刺激的な世界観は唯一無二。次から次へと観たくなった。

 それから、自殺に失敗した男が殺し屋に自分の殺害を依頼する『コントラクト・キラー』を見て、仕事を失った夫婦が食堂を開くために奔走する『浮き雲』を見て、なんて切なく面白いストーリーを作る人なんだろうと心酔した。

 結局、図書館に置いてあったビデオはぜんぶ見てしまった。『罪と罰 白夜のラスコーリニコフ』、『カラマリ・ユニオン』、『パラダイスの夕暮れ』、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』などなど。連日、丑三つ時にせっせっと一人で試聴しまくった。

 どれも貧しい人たちが絶望に陥るも、ちょっとした幸せのために生きようと頑張る姿が描かれていて、アキ・カウリスマキって人は本当の意味でプロレタリアなんだろうなぁ、なんてことを思っていた。

 だから、そんな映画がヒットするイメージを持てなかった。いや、ヒットどころの話ではない。たくさんの人たちが楽しむ姿を想像できなかった。

 図書館に置いてあるぐらいだし、芸術的な部分で評価され、世間受けしていないのが現実なのではないかと勝手に納得。そのことを確かめるためにも、いつかは映画館でアキ・カウリスマキの新作を見てみたい。きっとガラガラに決まっている。中学生のわたしは小生意気にもそう考えていた。

 あれから二十年弱が経った。なんだかんだでタイミングが合わず、何本も新作が公開されたのに、一度も映画館に足を運べないまま、アキ・カウリスマキは監督を引退してしまった。

 ああ。そうか。そうなのか。

 かなり後悔したことを覚えている。

 ところが、今年、引退を撤回。当たり前のように新作『枯れ葉』を発表したので驚いた。そして、今度こそは行かなきゃならぬと決意して、昨日、新宿へ繰り出したのだ。

 従って、初めて、他の人たちとアキ・カウリスマキを見る経験をしたのだけれど、ビックリの連続だった。

 まず、平日の昼間から満席になっていること。次に上映前からみんな、ワクワク、盛り上がっていること。そして、なにより、会話シーンでクスクス笑いが起きていること。

 たしかに、アキ・カウリスマキはアナクロニズムの悲哀が空回り、笑わざるを得ない状況を作るのが上手いけれど、まさか、あんなに観客が一体化するだけの反応があるとは。予想だにしていなかった。

 まるで映画館の原風景をVR体験しているかのようだった。人生の大先輩たちの反応を通し、わたしはアキ・カウリスマキの本質は昭和のコメディ映画なんだと鮮やかに悟った。

 ただ、もしかすると、そういう映画経験を含めて、アキ・カウリスマキは引退を撤回してまで、今回の作品を撮りたかった可能性はある。

 物語はシェイクスピアの芝居みたく、一目惚れした男女が互いに惹かれ合うも、運命のいたずらに翻弄され、つかず離れずを繰り返す。その男女がともに貧しく、生活に苦しんでいる点はいつも通りのアキ・カウリスマキ。ただ、その背景で、絶えずロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れ続けているところに肝がある。

 舞台となるフィンランドにはいまのところ爆弾は落ちていない。でも、すぐそばで蛮行は繰り返されているし、ウクライナから避難してきて人たちはいるし、経済制裁の影響で生活費は上昇を続け、戦争の被害を被ってはいる。

 そんな中、主人公たちは仕事を失ったり、怪しいやつらと関わったり、アルコールに逃げたり、ひたすら暮らしに疲弊していく。ただでさえ、生きていくのは大変なのに、戦争を仕掛けるプーチンの愚かさたるや。明言されずとも、映像は多弁に語っていた。

 今回、ついに、アキ・カウリスマキはハッピーエンドを諦めるんじゃないかとわたしは不安になった。あまりにもくだらない理由で、たくさんの人の命が奪われていく現実を前にして、すべてが嫌になってしまったんじゃないか、と。

 だが、男は女のために酒を断つ努力をし、女は殺処分予定の犬を引き取るなど、苦しみの中で愛を実行しようとするあたりから、微かな希望が芽生え始める。

 やはり、今年、引退を撤回したことには理由があったのだろう。それでも愛を忘れるなかれ。アキ・カウリスマキの熱いメッセージを受け取った気がした。

 きっと、それはわたしだけではなかったはずだ。上映後、外に出るとき、人生の大先輩たちがどうぞ、どうぞと順番を譲り合っていた。「いい映画に誘ってくれてありがとう」とお礼を言い合っていた。白髪の方々の表情は、心なし、少年少女の輝く笑顔のようだった。

 おそらく、むかし、映画を見るって、こういうことだったのではないだろうか。水野晴郎が言っていた「映画って本当にいいもんですね」の意味がわかった気がした。




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