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【料理エッセイ】高尾山に登ったけど、蕎麦アレルギーなのでラーメンを食べてきた

 最近、YouTubeの「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」というチャンネルにハマっている。

 過去、実際に起きた山岳遭難事故のついて、詳細や原因を詳しく解説し、どうすれば生存確率を上げることができるか教えてくれる動画がいくつもアップされていて、やたら興味深い。

 眠れない夜に見始めて、気がついたらあっという間に時間が経ってしまう。そして、聞いたことあるような有名な山でも恐ろしいことになるんだなぁと怖がりつつ、みんな、命懸けで山を登るのはなぜなのだろうと気になったきた。

 それこそ、そこに山があるからなのか?

 で、気がついたら登山をしたくなっていた。ただ、適切な道具も服装も持っていないし、知識も経験もないし、険しい山にチャレンジできるはずはない。雰囲気だけでも味わえないかなぁと探してみたら、いまやミシュラン三つ星を獲得し、年間300万人は訪れるという高尾山がちょうどよさそうだった。

 早速、昨日、京王線で行ってきた。

 着いてみると少し雨が降っていた。また、念のため、140円のレンタル傘を借りて、テクテク進んだ。

 平日だし、天気は悪いし、そんなに混んでいないだろうと思っていたが、大学生らしき集団がオリエンテーションをやっているのか、けっこうな人がいた。また、外国から来た方々も多く、アパ社長の写真が入った水を片手に和気藹々と盛り上がっていた。

 高尾山は初めてじゃなかった。ケーブルカーやリフトを使って上まで行ったことは何度もあった。徒歩だけで山頂まで行ったことは一度しかない。

 今回は登山気分を味わいたいし、徒歩でチャレンジしようと思っていたが、雨に心はしょげてしまって、結局、ケーブルカーを使うことにした。

 とはいえ、そこからもけっこう歩く。

 タコみたいに根っこがウネウネしている巨大な杉とか、天狗が腰掛けて休んだと言われる巨大な杉とか、とにかく大きな杉が生えまくり。その横を通り過ぎながら、わたしはお昼になにを食べようかなぁ、なんてことを考えていた。

 高尾山と言えば蕎麦。山頂のお店で蕎麦を頂くのが定番だ。

 でも、わたしは蕎麦アレルギーだから、蕎麦が食べられない。念のため、蕎麦を扱っているお店にもできれば入りたくはない。蕎麦粉が混入するだけで、大変なことになってしまうから。

 なので、本来、コンビニでおにぎりとか、サンドウィッチとか、買ってきた方がよかったんだけど、すっかり忘れてしまった。寝坊しちゃって朝ごはんも食べていなかったし、どうしたものか……。

 すると、そんな煩悩をたしなめるように108段の階段が現れた。えっちら、おっちら、息を切らして登ってみれば、ますますお腹が空いてきた。

 そのとき、

「いらっしゃいませ。ラーメン専門店です」

 と、威勢のいい呼び声が聞こえた。

 ごまどころ権現茶屋。軒先で高尾山名物・三福だんごを焼いているのは目についたけど、なんと、その後ろでラーメン屋をやっているとは。おあつらえ向きの内容にまんまと吸い寄せられてしまった。

 繁盛しているらしく、お客さんでいっぱいだった。好きな席を選んでくださいとのことだったので、いろいろ見回していると、外にも簡単なテーブルがあることに気がついた。

 せっかくなので、山の景色を楽しみながらラーメンを食べることにした。メニューは三種類。玉ねぎの乗った八王子ラーメン、こだわりの味噌ラーメン、とろろの乗った自然薯ラーメン。どれもよさそうだったけど、山っぽいものがほしく、自然薯ラーメンを選んだ。

 晴れていたら横浜の方まで見えるんだとか。あいにくの曇りで空は灰色だったが、出てきたラーメンは綺麗に澄んだスープが美しかった。卵もチャーシューもトロトロな上、麺が歯応えたしかで最高だった。

 正直、場所柄、そんなに期待はしていなかった。とりあえず腹を満たせればいいぐらいのつもりだったのに、本格的なクオリティ。驚いた。

 シーズンによっては天狗ラーメンというものを出していて、これがけっこう人気らしい。天狗の鼻に見立てたさつま揚げが、でっかくドーンッと乗っているそうだ。

 食後、デザートには重いけど、焼いただんごを食べようと思った。ただ、何十人という大学生が列を作っていたので諦めた。

 そこから20分ほど登っただろうか。ようやく山頂。と言っても、まわりより特別高いわけでもないので、景色はひたすら山ばかり。向こうの山の方が高いんじゃないかしら?

 標高599.15Mという数字に対して、近くにいた若い男の子たちが、

「砂でも積んで600Mにしちゃえばよかったのにね」

 と、言っていた。わたしもそうすればよかったのにと心の中で同意した。

 喉が渇いたので、山頂の出店でラムネを買った。一緒に、期間限定のなめこ汁ももらうことにした。てっきり、味噌汁かと思ったら醤油仕立てで見た目に美しかった。もちろん、よく出汁が出ていて美味しかった。

 他の売店ではプーさんたちが投げ売りされていた。

 何匹か連れて帰ってあげたかったが、荷物を運ぶ余裕はないので、泣く泣く、断念することにした。

 ああ、かわいい……。

 下山ルートは吊り橋のある道を選んだ。ビジターセンターの人曰く、先月、補修工事が終わったばかりとのことで、その様子を見たくなったのだ。

 登りのコンクリート舗装されたルートと違って、地面を歩くので足から山を感じられた。そもそも、この感じを味わいたかったんだと本来の目的を思い出した。

 すみれがいくつも咲いていて綺麗だった。途中の看板の説明によると、すみれの種はアリが運んでいくらしい。だから、いたるところで咲き誇ることが可能なのだろう。

 モーツァルトの「すみれ」が頭の中に流れてきた。すごく繊細な曲だけど、歌われる歌詞はゲーテによるもので、けっこう残酷。18世紀を代表する二人の天才の傑作コラボではあるが、そのギャップについて、村上春樹はすみれという名前の女の子が出てくる小説『スプートニクの恋人』で、こんな風に書いている。

歌の内容はわからなかった。しかしそのたおやかな曲想からして、きっと野原に咲くすみれの美しさを歌ったものにちがいあるまい。すみれはその風景を想像し、深く愛した。
 でも中学生のときに学校の図書館で歌詞の日本語訳をみつけて、すみれはショックを受けた。歌の内容は野原に咲く一輪の清楚なすみれの花が、どこかの無神経な羊飼いの娘にあえなく踏みつけられてしまうというものだった。彼女は自分が踏みつけた花の存在にすら気がつかない。ゲーテの詩だということだったが、そこには救いがなく、教訓すらなかった。

村上春樹『スプートニクの恋人』

 この描写を読んだとき、すみれに同情したものだ。でも、見た目に反し、本当は強い花なのかも知れず、だとしたら、羊飼いの娘に踏まれたぐらいでへこたれるようなたまではないのかも。

 たしかに、野に咲くすみれはどれも凛々しく、どことなくカッコいい雰囲気に満ち満ちていた。やはり、イメージと実際の姿は違うものだと思い知らされる。もっと自然に触れなきゃダメだなぁ。

 吊り橋を渡り、もとの道と合流した。

 帰りはリフトに乗った。

 真ん中らへんで、写真撮影していますとの看板があった。ディズニーランドのスプラッシュマウンテンみたいな感じで、機械が自動でやっているのかと思ったら、脇にスタッフの人が座っていて、

「撮りますか?」

 と、カメラを構えながら聞いてきたので驚いた。

 あの人はリフトに乗って、あそこまでやってきているのだろうか? えいやっと飛び降りれば、できないことはなさそうだった。しかし、戻るときはどうするのだろう……?

 大きな疑問を土産にわたしは下山した。

 京王線に乗りながら、またしてもYouTubeで「生きて山から帰るには【山岳遭難解説】」の動画を見た。出てくる山は高尾山と比べものにならないものばかりだけど、山に登りたくなる気持ちが少しわかった。




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