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【読書コラム】優しい世界にも悩みはある - 『Blue』川野芽生

 わたしはシスジェンダーだから、客観的にトランスジェンダーの人たちを理解することはできても、主観的な気持ちまではわからない。それでも、わかるための努力はしたくって、いろいろ調べたときに『one night, hot springs』というゲームを知った。

 トランスジェンダーの主人公が友だちから温泉に誘われ、そこで経験する様々な出来事をプレイヤーが選択していくノベルゲームで、これがなかなかに考えさせられる内容だった。

 友だちは主人公がトランスジェンダーであることを知っている。その上で、友だちとして普通に温泉旅行をしたいと誘ってくれているのだが、果たして、自分がそこに行っていいのか躊躇するところから悩みは始まる。

 温泉に行ったら行ったで、宿泊者名簿には戸籍上の情報を記載しなくてはいけない。まだ、なにも起きていない。けれど、もし、なにか言われたらどうしようと考えるだけでストレスフル。

 興味本位であれこれ質問されるのも、どう答えらいいか、難しい。理解したくて聞いてくれているのはわかっているが、本心を伝えたら嫌な思いをさせてしまうかもしれなし、かと言って、こちらが我慢しなくちゃいけないのも変な話だし、二択の選択肢でさえ頭がパンクしそうになる。

 このゲームのコンセプトを聞いたとき、わたしはてっきり理解のない人たちの理解ない言葉にさらされたり、理不尽なトラブルに巻き込まれたり、最低限度の権利を主張する大変さだったり、能動的なシミュレーションが用意されているとばかり想像していた。

 ところが、実際にプレイしてみると、まわりの人たちはみんな主人公がトランスジェンダーであることを理解してくれていて、かつ、寄り添おうとしてくれている。それなのに、ちょっとした言動を選ぶ場面で、これほど悩まなくてはいけないのかというリアリティが描かれていて、自分の中で価値観が大きく揺さぶられた。

 能動的な出来事を通して、「居場所がない」とはどんなに辛いことなのか、じんわり浮かび上がってきた。

 優しい世界にも悩みがある。結局のところ、迷惑をかけてしまうかもと思った瞬間、悩みは生まれてしまうのだ。

 いわゆる「普通」が定義され、そこに自分が当てはまらないとき、「普通」の人たちが優しく自分を受け入れてくれたとして、あくまで自分は例外であり、申し訳なさに苛まれる。

 そんな風に思う必要はないと言ってしまうのは簡単だ。でも、「普通」の人たちが例外な自分に怒りを覚え、牙を剥いてきたとき、誰が守ってくれるのか。

 実体化した暴力はもちろんのこと、このような可能性としての恐怖にもマイノリティとして生きる困難さが垣間見える。

 川野芽生さんの『Blue』という小説もまた、トランスジェンダーの葛藤を通して、同様のしんどさに言葉でちゃんと向き合っていた。

 男の身体を割り当てながらも、高校の演劇で人魚姫役を見事に演じ切った主人公は女の子として生きていくつもりだった。でも、大学に入り、新たな出会いを通して、女の子として生きていくことを諦めるに至る。

 この主人公のまわりの人たちも理解があり、配慮があり、とても優しい世界が広がっている。それぞれがそれぞれの困難を抱えつつ、ときには認識不足から互いに傷つけ合ったりもするが、すぐに言葉で訂正できるレジリエンスに満ちている。

 一見すると、そんな恵まれた環境において、悩むなんて贅沢なことに思えるけれど、それでも悩まなくてはいけないところにこの問題の本質があるのだろう。

 その上で、トランスジェンダーと演劇を重ねたところに『Bleu』の魅力が光る。演劇では性別なんて簡単に超えていけるのに、なぜ、現実ではこんなにもそれが難しいのだろうとつくづく心が痛くなる。

 しかも、その演劇で扱っているテーマが人魚姫。アンデルセンの童話にはじまって、ディズニー映画に至るまで、人々は魚から人間にトランスフォームしようと試みる人魚姫の姿に心震わせてきた。だったら、同じ人間が同じ身体のまま性別を超えるぐらい、なんてことないはずなのに。

 そういう意味で、川野芽生さんはトランスジェンダーの範囲にとどまらず、より広義なトランスを捉えようとしているように感じられた。

 なぜか、『Blue』を読んだ後、久しぶりにCcccoの『強く儚い者たち』を聞きたくなった。本当に、ただ、なんとなく。

 その後、友だちから、

「文學界2023年9月号掲載の新人小説月評で、渡邊英理さんが『Blue』について論ずる際に、Coccoの『強く儚い者たち』に言及していたよ」

 と、教えてもらった。

日本語圏の童話のなかの人魚姫は、過分に自己犠牲的だ。愛した人のために、人間になり、その代償として、声をも失う。それに対して、Coccoは、その歌「強く儚い者たち」のなかで、声を奪われた人魚姫に声を与え、自らを語る言葉を回復させた。「Blue」が響かせる、自分が自分でありつづけようとする小さな声の連なりは、Coccoが歌う人魚姫とも通い合いつつ、クィアな「私たち」の生を支えようとする。

文學界2023年9月号「新人小説月評」より

 なるほど、わかる気がする。

 90年代後半、日本は自分の言葉を持った歌姫がたくさんデビューした。宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみ、aiko、UAなどなど。挙げればきりがないほどに。

 その中でもCoccoは童話や絵本の世界観を下敷きに、これまでになかった解釈を提示して、わたしたちの物語へと変えてくれた点で特異だった。

 きっと、川野芽生さんの言葉もそういう力を持っているのだ。




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