見出し画像

不登校を初めからすんなり受け入れられる親は日本人には1割もいない!

我が子が不登校に!?いざ子どもが学校に行きたくない、行けないとサインを出してきた時に、すんなりと「そうか、行きたくないんだね。じゃぁ学校行くのやめようか!」と即時に切り替えて対応できる親は今の日本には1割もいません。

仕事や家庭環境で物理的にすぐに受け入れられないという場合ももちろんありますが、物理的な問題以前に実際に我が子が不登校になるという現実をすんなりと受け入れることは思っている以上に難しいものです。

そこでなぜ難しいと感じてるのか?を深堀してみました。
冷静に分析して考えることで見えてくるものがあります。
思考をスッキリさせてモヤモヤした気持ちを吹っ飛ばしてみよう!のお話。

ではスタートです♪



まさに私がそうでした!


私自身、子ども達が学校行き渋りの頃、毎朝壮絶なやりとりを繰り広げ、やっとの思いで送り出し 1人になると 私はなんでこんな思いをしてまで学校に行かせようとしてるんだろう と毎回のように自問自答していた時期が長期間ありました。

子どもはこんなに行きたくないって言ってるのに、なぜここまでして学校行かせる必要あるのか?と囁くもう1人の自分といつも激戦でした。

キラキラした瞳は曇り、荒れていく我が子を目の前に 内心はいつもグラグラ揺れていながらも「学校行くのやめよう!」という一言が出ません。

「今日は休んでもいいよ!」までは言えても あくまで「今日は」の話。
今日は特別だからね?明日は休まないからね?の圧力をバンバンかけながら今日の休みを許諾していました。


マインドセットを意識する

同じような状況が思い浮かぶ方もいるのではないでしょうか?
当時の私は毎日のように この一連のやりとりで悩み、疲弊しきっていたのですが、マインドセット術を身につけ根底の考え方を変えることによって今ではあの頃はなんだったのか?と思えるくらい楽しく楽に子育てしながら幸せに暮らせるようになりました。

が、当時は私も本当に超超超悩んでました。

でもね!
変わるんです!変われるんです!
お母さんのマインドセット次第(無意識の思考パターンの置き換え)で見える世界ガラッと変わって考え方がまるっきり変わるんです!


その第一歩として、なぜ母親は学校へ通わせることに必死になるのか?を深掘りして紐解いてみます。

冷静に分析して考えることでお母さんの思考がスッキリしてくるとモヤモヤした気持ちがなくなり心に余裕ができます!

心に余裕が出来てくると俯瞰で考えることができるので、視力の悪い裸眼の人が初めてメガネをかけたときくらい視界がクリアになって様々な角度から物事を見れるようになっていきます。

俯瞰で見るってことはとっても大切です。
最前線の兵士は目の前の敵しか見えませんが、戦を攻略するために軍師は遠目で全体を把握します。
軍師的な動きがきるようになれば、漠然とした大きな不安という悩みではなく、カバーすべき穴や自分の目指すことに向けての課題が見えてきたりします。

なので、まずはなぜこんなに悩んでいるのかさっそく分解して考えてみましょう!


「義務教育」がパワーワードすぎる

まずこれ。
え?と思うかもしれませんが、この義務教育という言葉の無言の圧力がすごいんです。

義務と言われるとやらなきゃいけないことという気持ちに自然とさせられてしまいます。
義務というワードがチラついて、他に選べる道は無いとさえ思ってしまいますよね。

このパワーワードは"義務を全うできない人は社会人としてダメで世間のはみ出し者である" という潜在意識に結びついてしまうため親として受け入れ難くなります。

これがそのまま親に刺さります。
親がダメだから子どもが不登校に・・・と勝手に連想してしまうので、自分の子育てが完全否定されている気になります。

世間の目も冷たいです。
親が甘いからとか勝手なこと言われるしダメージは大きいです。
こんなに頑張ってきたのに全部間違いだったのか。
私だって一生懸命やってきた。
なのになぜ。
大切な子どもを守ってあげれていない。
私のせいで子どもが辛いんだ。
私がダメな親なんだ。

という考えが頭をよぎるため、不登校を受け入れてしまうことは完全に自己否定であり自分の子育ての評価に直結すると考えてしまいます。

そのため、親自身が自分の心を必死に守ろうと自己防衛機能が働くので余計にすんなりは受け入れられません。
.

そもそも義務教育の義務の意味って、学校に行かせなきゃ行けない義務ではないです。
不登校の道に一度でも踏み込んだことのある家庭は、義務教育とはなんぞやをしっかり理解していると思いますが、まだまだ社会全体にまでは認知されてませいませんし、不登校に縁がない人は誤った認識をしている人も多いのです。


義務教育とは、調べると憲法にはこのようにあります。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)日本国憲法第26条

法律ってなんでこんな分かりにくいように書くんですかね。
つまりどうゆうこと?

親は教育を受けさせる義務があり
子は教育を受ける権利がある
ってことです。

この教育を受けさせる義務ってゆう言い回しが厄介ですが、親の価値観や都合で行かせないのはNGということ。
ざっくり言えばネグレクトとか虐待で学校に行かせないのはNGってことです。

つまり、めちゃくちゃかみ砕いて言えば
学校は全員必ず行かなければならないところで 親が行かせることは義務であると思われがちだけど、そうゆうことではない。
ただ、子どもには学ぶ権利があり生きていく上で必要なことは親がしっかりと学びの場を提供して学ばせてね
ってことが言いたい感じですね。

要は学ぶ場は学校以外でも何も問題もないのです。

学びの場は探せばいくらでもあり、色んなスタイルの学校があります。
オンラインスクールとかフリースクールも学びの場ですし、学校やスクールの名前がつかなくても学ぶことが出来る環境であれば大自然の中でも高層ビルの中でもどこもかしこも学びの場なんです。

最近はフリースクールやオンラインスクールでも学校と連携をとり、出席扱いにしてくれたりするようなところも増えてきているので、受験などで出席日数が気になるようであれば、そういったところも視野に入れ検討しやすくなっています。

出席日数とか気にならなければ、我が家のようにホームスクーリングとう名の家族の元で楽しく学んでますというスタンスでもOKで、これも義務教育違反でもなんでもないのです。


じゃぁ学びの定義ってなに?ってなりますよね。
実際はなんでもいいんです。
学校の勉強以外にも学びは無限。
とくに子どもはなんでもスポンジのように吸収できるんだから、極論生きているだけでも学びしかありません!笑

つまり、子供が学校を拒否している限りは義務教育違反にはなりません。
さらに言えば学校以外の道を示してあげるのも子どもの学びのためなら問題一切なしですね!

我が家のように登校渋りがきっかけのホームスクーリングではなく、初めから家族の考え方で小学校や中学校ではなくホームスクーリングやほかの学びの場を敢えてスタートから選んでいる家族もいます。
これも全然OK。

法律も見直され2017年より「教育機会確保法」という法律もできました。
まだたった5年しか経っていないホヤホヤの法律なので知らない人も沢山いますが、これで不登校を後ろめたく思う必要はナシです!



もし、学校へ行かない=義務教育を怠っているという固定概念が邪魔しているとしたら、ここはもう違うってことでミッションクリアですね。

何も悪いことはしてません!堂々と生きましょう!

こうやって掘り返してみると「不登校」ってゆうワードもとってもよくないですね。
改めて思いました。
「不」の字がもうネガティブに見えますよね。
不登校じゃなくて、学校以外の学びを選んでるってだけです。
たったそれだけ!悪くない!

最近はオルタナティブとかエデュケーションという言葉が日本でも遅れながらもチラホラ聞こえるようになってきて、国の教育機関はまだ地域によって対応にもムラがあり全国で完全な受け入れ態勢とまではいきませんが、やっと少しづつ根付いてきた印象です。

大丈夫!
気に病むことは何一つありません!
学校にとらわれる必要もないし、もっと色んなやり方がある!


学校を習い事の感覚で考えてみる!

  • 興味を持って始めてみたけどやっぱり好きじゃなかった。

  • 先生と合わなかった。

  • チームメイトとうまくいかなそうだった。

  • (親目線で)ここでは本人の伸ばしたいところが伸びないと感じた。

  • コーチの一方的な教え方が好きじゃない。

  • 子どもに環境が合わない

  • とりあえず通ってるけど、子どものためになってるのかがよくわからない

習い事でもこうゆうことって普通にありますよね。
そんな時どうですか?
無理にでも同じ環境で続けさせたいと思いますか?

習い事で考えると、やめる選択もあれば、習い事や教室を変える選択、苦手な子がいない曜日を選ぶなど色んな方法も思いつきますよね。

親としても、どうせ高いお金を払ってるんだし、ここに預けたい!この先生なら子供が伸びそう!子どもがとっても楽しんでいる!って思えるところに子どもを預けたいと思います。


これ、本来は学校も同じであるべきですよね。
でも学校は任意ではなく義務という概念が先行しちゃってるからほかの選択を見いだせなくなっています。

義務教育期間の小中学校は、私立の学校じゃない限りは当たり前に地域からこの入学してくださいねって手紙が来て、なんの疑いもなく小学生ならランドセルを買って 中学生なら制服を買って、そのままの流れでその学校に就学します。
このシステムってよく考えたら、行きたくない子が出てくるのってごくごく当たり前のことじゃないですか?

たまたまそこの地域でその学区に住んでるからそこの学校に通う。
学校の風潮とかコンセプトとか生徒や学校の雰囲気とかもこっちで選んでるわけでもありません。

スタートの時点からこの学校なんか嫌なんだよなって感じ取る子がいてもおかしくないですよね。
自分で体験や見学に行って数ある中から取捨選択して選んで入学してるわけじゃないんだから。


不登校に対する世の中の目線


もっと社会全体がフラットに考えれるようになれば苦しむ子供も減るんだろうなと思いすが、法改正もありだいぶ寛容になってきたとはいえ、まだまだ義務教育というパワーワードを前に、世間の不登校に対する考えは前向きなものではありません。

大人や社会がそんな風潮であることによって、子ども達は何一つ悪くないのに自分はダメな子なのかなと思うようになり劣等感に押しつぶされそうになっています。

近所の人たちに会うたびに「あれ?学校は?」「今日はズル休み?」などと当たり前のようにかけられる言葉。

ここでお母さんが後ろめたい気持ちでいれば子供には完全に伝わってしまうし、いくら気にしてません感を全面に出しても内心で思っている限りは子供は確実にバレています。

子どもの親の心を見透かす洞察力は尋常じゃないんです。

だからこそ、親が不登校を気にしているうちは子どもは前進できません。

親が心の底から不登校と学校に行かない我が子を受け入れられるようになると子どもは次のステップに進めます。


親子でいるときに外で人に会って「あれ?学校休み?」って聞かれたときに、笑顔で「そう!学校行かないおかげでめっちゃ一緒に楽しんでる!最高!」と即答できるくらいのマインドを身につけていけば不登校期間なんか気にならないほどこの先の子どもの未来は明るいです!

今日はここまでにします

不登校への考え方の話。
まだまだ伝えたいことは山ほどあるのですが、義務教育というたった1つのトピックでこんなに長々語ってしまいました。
本当は今回のタイトルの中であと6個くらいトピック作ってたんです。笑
あまりに長くなっちゃいそうなので、また小出しにして書かせていただきますね。

日本人は良くも悪くもみんな賢くて真面目なんですよね!
だからこそ、周りを見る力や環境にあわせようとする力もしっかり備わっている。
これは良いところでもありますが、逆に言えば柔軟な考えや自分だけイレギュラーな動きが苦手だったり受け入れ難かったりという面でもありますよね。

大丈夫!
こうやって最後まで読んでくれる気持ちや少しでも色んな考えがあるんだなと思えるのであれば伸びしろしかありません!

1人でも多くの悩めるお母さんがちょっとでも楽になれることを願って♡

また書かせてもらいます(^^♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?