見出し画像

⭐️デンデンムシの悲しみ 心に橋をかける⭐️

小学校の頃の話です。
私には姉がおり、同じ私立の小学校に通っていました。

毎朝、玄関前で姉妹が並んで母に「行ってきます」と挨拶します。
その後玄関の扉が閉じると私はじっと動かずに姉が先に10m程歩いて進んだのを確認した後、 私は歩き始め、姉と距離を保ちながら通学しました。

なぜ、姉妹が仲良く一緒に通勤しないのかと思われるのではないでしょうか。
しかしこれには事情があったのです。

姉は生まれながらに気難しい性格の人間でした。
実は姉からそばによらないように言われていたけれど、母がその事を知り姉妹の仲良くない姿を見て悲しむ姿が目に浮かび、子供ながらに考えた結果の行動でした。

当時「自我」の確立もなく、また世界が学校と家庭にほぼ限られていました。
姉妹である以上一緒に暮らしており、私は毎日姉の機嫌を読み、日々どう姉に接したらよいか悩みました。
姉を通して私は子供時代に自分には到底理解できない人格の持ち主が世の中に存在することを肌で感じたのです。

そのマイナスをプラスに何とか変えようと、想像力を働かせながら頑張っていましたが、困難になることがありました。

そんな時、心に刺さる童話がありました。
でんでんむしの悲しみ新美南吉作です。


一匹のでんでん虫がありました。
ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」 この悲しみはどうしたらよいのでしょう。
でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。
「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。
「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。
すると、お友達のでんでん虫は言いました。
「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」 それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」 そこで、はじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。
こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どのお友達も、同じことを言うのでありました。
とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは、誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」 そして、このでんでん虫はもう、嘆(なげ)くのをやめたのであります。


上皇后美智子様は皇后時代にこの童話に触れ、「人は複雑さに耐えてゆかなければならない、人と人の関係にも、国と国の関係にも」とおっしゃいました。

私にとって、姉妹の関係を通じて、解決できないけれど抱えながら生きていかなくてはならない苦しみがあるということを学ばされたのでした。
そして「家族の一人に悲しみがあることは、家族全体の悲しみである」というお言葉が心に残っています。

患者さん、ご家族が病気や介護の負担をめぐって喧嘩をし、関係が壊れてしまうことがあります。
私自身、以前投稿の中で書かせていただいた通り必ずしも血縁だからと言ってすべてを背負う必要はないと考えます。
しかし距離を置いたからと言って心はすっきりしないままであることも多いです。

家庭内で、職場で簡単に解決できない人間関係を抱えた時に、 この動画や童話を参考に、美智子さまの言葉の通り、創造力を働かせたり、人と人の心に橋をかけて心の糧にしてゆく事が大事なのではないかと思います。

ご参考にしていただければ幸いです。


タイトル画像


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?