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人生が好転しない時こそ「変化」を取り入れてみる

どこか新しいものにふれると、なにか感じられることがある。濁った景色を眺めているようで、じつはレンズを磨けば光ってみえてくるものがある。

文章をかいてメモしたことをコンテンツとして公開することで、すこしだけ多くの人にみてもらうことができた。文章をかくことから、写真をとることへ変化させてみる。もともと写真を撮ることは好きだったが、オープンにすることは少なかった。ひととはなしてみたり、ものにふれて感じてみたことを形にする。ひとつひとつが小さなピースであっても、最後のパーツがカチッとはまれば、作品という大きくて美しい姿をあらわしてくれる。趣味が散歩ということで、歩きながら考えごとをすることが多い。すると、ストンと納得のいく答えがみつかるときがある。わたしは、ぼくは、はたしてどこへ向かっているのだろうか。

綺麗なものにふれる。新しいことをかく。そして、その感性を磨き続ける。これを習慣化してみる。すると、小さな変化が生まれていく。どこか新しいところにいって、新しい空気を吸ってみるのもいい。

なにか嫌なことがあったとき、悩んだときほどどこか遠くへいってみたくなる。いつもやっていることを、あえてやめてみたり、いつもやっていなかったことを、とりあえず、やってみたり。"自分さがし"とでも言うのだろうか。就職について悩んだり、人生の岐路で迷ってる人って、意外と多いんじゃないのかな。でも、焦らなくても大丈夫だし、わからないなら、わからないままでいいんだと思う。

自分の人生をみてみると、選択肢ってみつけるものではなくて、しぜんと、みつかるものが多かった。「こうしたい」だから「こうしよう」ではなく、「これしかできない」だから「こうなった」みたいに、なりたいものがあって努力するよりかは、なりたいものは特にないんだけど、「できること」がそれしかないから、続けていたら、そうなっていた、みたいなことはよくあった。

「こうすることが正解である」みたいな模範解答なんてものは人生にないと思う。人間関係が苦手だ、人付き合いがつらい、人と関わるのがしんどい。自分もよく感じるので、痛いほどわかる。苦手なら苦手なままでも、いいとおもってる。できないことを強く怒られたり、苦い経験をすることが多い人生だったので、「このままじゃ生きていけない」って感じてたけど、そんなこと全然なかった。むしろ、つづけられることが一つあるだけでも、つよみであるとおもえた。

ひとがやれることなんて、とても小さなものかもしれない。でも、そういった小さいことの積み重ねが、将来のじぶんを形づくる一つのパーツになるのは間違いない。いまやれること、いましかできないこと、やっていけば、いつか理想的な人生に近づけるのかもなっておもった。

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