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『マルサン思い出ものがたり パゴスとぼく』

 それは寒い朝だった。

 僕は3歳だった。

 突然、母に起こされて洋服を着せられた。

 母の表情は険しく、言葉の調子いつになく強かった。

「よしつぐさん、いいですか、今日からお父さんはよその人になります」

 この言葉を三歳児の僕がどうやって理解し得よう。

 母はまだ0歳だった妹を乳母車に乗せ出立の準備を整えた。

 僕はオーバーコートに身を包んだまま母におもちゃも連れてゆきたいと懇願した。

 母は一つだけ持ってゆくことを許した。

 たくさんあったソフビ怪獣の中から僕が取り上げた一体がマルサンのパゴスだった。

 外へ出ると夜明けの街路は凍てつく寒さだった。

 僕はこげ茶色のパゴスを左脇に抱えて母が押す乳母車に右手をかけていた。

 吐く息も白い寒い朝である。

 三人はとぼとぼと街路を歩き始めた。

 毛糸の手袋で支えながらしっかり脇に抱えた大きなパゴスもすべすべと滑って持ちにくい。

 しかし僕は手袋の中で悴む手に力を入れてぎゅっとパゴスを抱えていた。

 まるで今起こっている理解できない出来事への不安を委ねるかのように。

 電車に乗った僕は膝の上に載せたパゴスを眺めていた。

「だいじょうぶだよ」

 その顔はどこか笑っているかのようだった。

「おかあさん、ほかのかいじゅうさんはあとからくるの?」

 母を見上げて僕はそう尋ねた。

 母は何も答えなかった。

 僕は置いてきたパゴス以外の怪獣たちが気がかりだった。

 カネゴン、大魔神、ガラモン、ゴメス、アントラー...…。

 みんなみんな大好きだった。

 しかし、僕はパゴスを選んだ。

 どうしてパゴスだったのかは分からない。

 何か柔らかいあの表情に安堵を憶えたのかもしれない。

 あれから時が流れて...…40年以上も経った

 あのしっかりと小脇に抱えていた大きなパゴスはもういない。

「だいじょうぶだよ」

 そう笑いかけてくれた、たったひとりのお友達のパゴスはもういない。

 今、再びマルサンのパゴスを手にすると、

 なんと小さくなったのだろうかと思う。

 あの寒い朝、僕が小脇に抱えていたパゴス。

 今では片手で握れるようになった。

 マルサンのパゴスを見ると思い出す。

 そして僕は心の中で語りかけるのだ。

 「あの時はありがとう...…」


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