「天才かも」と気づいたら人生うまく回ってきた

最近、冗談交じりに天才を自称しています。

仕事で褒められたときに
「当然ですよ、ハハハ」
というような。

センス良いですね!と言われて
「そうですかね・・?」と
謙遜するかと思いきや

「意識してないんですけど
そうなるんですよね。」
と当然のように返すわけです。

少なくとも

「いやいやそれほどでもないですよ・・・。」

とか

「全然たいしたことないんですヨー」

とは言わないようにしています。


なんでかというと、

僕のこうして書けているのは
教えてくれた多くの人の経験と技術の上に
成り立っているものだからです。

僕の力だけではなく
いろんな人の力が加わって
文章が書けるようになっているからです。

それなのに
「全然普通ですよー」とか
「大したことないですよ。」なんて

育ててくれた人に
泥を塗るようなことだと思うからです。

謙虚ではなく
ダメ弟子の発言です。

僕はこれに気づいてから
注意して言わないようにしています。

『謙虚は美徳』と言われますが
使う言葉は選ばないといけません。

「ありがとうございます。」とか
「嬉しいです。」「光栄です。」「励みになります。」
などに言い換えるようにしています。


で、最近はそれすら通り越して
天才ぶるようにしています。

鏡で自分を見るたびに
「俺って天才だな。」
と思うことにしています。

この発想は完全にアホなんですけど

元々自分を過小評価してたので
逆にしてみたってことです。

「自信ないです。」
「うまくいく気がしない。」
「どうせ・でも・だって」

頭の中の言語がすべて否定語でした。

自信を持ちたかったので
完全に逆にして
自己評価を高めに設定しているわけです。

すると、批判されても
「おバカがなんか言ってるなあ。」
と流せるようになり、ストレスが減りました。

褒め言葉を受け入れやすくなったので
もっと気持ちも晴れやかになりました。

あとは、
面白い発想や生き方をしている人を見て
素直に称賛できるようにもなりました。

「天才かも」と思えるようになると
アイディアを出すことに
遠慮しなくなります。

自分から何かを言うことに
抵抗がなくなってきます。

人間的にちょっと強くなります。


振り返ってみると
学生時代は休み時間に
雲を眺めるのが日課なくらい
孤独な夢想家だったのですが

「天才だったのかも。」
と考えてみると、妙に納得できます。

天才だったので
クラスから浮いてただけなんだと。

エジソンやアインシュタインが
学校になじまなかったのと同じだなと。
そう思って正当化できるわけです。

いろんなトラウマを払拭できて
大変便利です。


最初のうちは慣れるために
「天才かも」くらいから始めましょう。

「バカか天才の2択なら若干天才かな。」

このくらいが適当で、
やりすぎるとただの天狗です。

全員バカだと考えてしまうと
かえってバカっぽいので
天才らしいフェアな精神を心がけます。

偏差値51で天才です。

天才だと自覚し始めると
1つだけ懸念があります。

天才であることに気づいてしまったので
調子に乗って努力しなくなる可能性です。

ウサギとカメでいう
ウサギになってしまうことです。

でも、天才だからこそ
「努力すれば最強じゃないか」

と思えるので
かえって努力できます。

人間って不思議なもので、
才能があって、能力があるって
わかってるときの方が努力できます。

武器をたくさん持ってた方が
フィールドで自信を持って
敵を倒せるのと同じで、

両手に武器を持っていることがわかるので
生きやすくなるわけです。


「私ってなんてバカなんだろう。」
と思い続ける人生と

「私ってなんて天才なんだろう。」
と思い続ける人生だったら

絶対に後者の方が幸せです。

周りはどちらの人にも
「バカだな。」
と思うかもしれませんが

本人は楽しく生きられます。


鏡に向かって
「私は才能がある。」
と言い聞かせる暗示
アファメーションがありますが

「私は天才だ。」
の方がハマる気がします。

もちろん個人差はあるでしょうけど。
天才だと思った方が
ニヤニヤできると思います。

天才にしておけば
バカっぽくても
天才的な発想として正当化できるからです。

「私らしいな。」
って思える感じがします。

バカっぽいですけど
実は奥が深い話だと思うんですよね。

nagatouch

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