【短編小説】ありがとうを言えない
《約2600文字 / 目安5分》
温かいご飯の匂い。
「よーし。こんなものかな」
ママは私をおんぶしながら、鼻歌交じりにご飯の支度をしていた。リビングの方を振り向くと、いつの間にか薄暗くなっていた。いつもこんな時に、パパが帰ってくる。そう思うとワクワクが止まらない。
「完成……かな。ここみ、ご飯できたよー」
歌声がママの背中から聞こえてくる。ご飯、できたのかな。ママの肩に精一杯手を伸ばし台所を覗くと、そこには湯気が立っていてキラキラしたご飯達が並べてあった。
どうしよう、私も食べたい。手を伸ばしたら届くかも──。
「おっとっと、ここみはまだ食べれないよ。待ってねー、パパが帰ってきたらミルク作ってあげるからね」
ママ……もうちょっとだったのに。いつもママは美味しそうなご飯を食べさせてくれない。パパとママが二人でご飯を美味しそうに食べているなか、いつも私は得体のしれない液体を飲まされる。
私は口に不満を溜めていると、ママは急に歩き出し、紺色のおんぶ紐がゆらゆら揺れる。
前が見えないなか、どこに行くのか不安だったのも束の間、連れて行かれたのはリビングにある私専用のお布団だった。私の体にピッタリな、お気に入りのお布団である。
ママはお布団に座った私を確認すると、いきなり動き回り出した。テーブルに置いてあるコップやゴミを片付けたり、窓のカーテンを閉めたり、他の部屋に行ったと思えば、いきなりリビングの電気をつけたりと落ち着きなく動いている。
ママはいつも忙しそうだ。私はあくびをしたりして、ママを眺めていた。
「よし! ちょっとだけ遊ぼっか、ここみ」
ハッとすると、ママは急におもちゃ箱を漁りだして、急に沢山のぬいぐるみを抱えて、私の所に来てはニコニコしながら話しかけてきた。もしかして……遊んでくれるのか?
私……遊びたいな。
「んふふ。嬉しいの? じゃあ、何して遊ぼっか」
ママ遊んでくれそうだな。
ふふ……腕が鳴るな。
私はもう、準備オーケーだよ。
「そうだね、おままごとでもしよっか」
もちろん、戦いごっこしよっか!
「ここみ、ちょっと待ってね」
あれ、ママどこ行くんだろう。どこかに行ったかと思えば、またもやおもちゃ箱を漁っていた。いつまで経っても忙しそうなママだ。
ママを眺めていると、台所にあったものとそっくりなものを、さっきよりもっと沢山、必死に抱きしめながら持ってきた。
「よいしょ。ほら、いっぱい持ってきたよ」
なぜだかママは、スプーンだったり野菜だったりのおもちゃを床に散りばめる。
「ここみちゃんは、何を作りますか?」
そうか、なるほど。これはきっと、武器を持ってきてくれたのだろう。
「うんうん。人参とまな板で何作るのかな?」
さて、魔王ママよ。
私は世界を守る最強の剣士、プリティーウーマンだ。
ついにこの魔王城に辿りつけたよ。今日この日、貴様の命は朽ち、世界は平和へと向かっていく。
「ふふ、まな板は置いて使うんだよ。できたら、このクマさんにあげてほしいなあ。ここみちゃーん、おなかすいたよー」
なんだと……お前はクマゴン。魔王ママを守る伝説のファイターじゃないか。貴様は、一年前に倒したはずじゃ。「クックック、おらは生きてるさ」この、クマゴンめ……だが、まとめて成敗じゃ!
「ああちょっと! 振り回したら危ないでしょ! ちょっと、ここみ、クマさんに優しくしてあげて──」
私に勝てると思うなよ。必殺、プリティーソード!
「イタッ! ストップ! やめて!」
ぬわ! 流石魔王ママだ。いとも簡単に攻撃を止めるとは。
「ここみ! 乱暴しちゃダメっていつも言ってるしょ?」
でも、ここでやられるプリティーウーマンではないのよ。最後のトドメだ!
「ちょっとイタッ……」
ふっふっふ! 正義は勝つ! これで平和は守られたぞ!
「ここみ! ダメ! 何してんの!」
え……。
ママ、なんでそんなに怒ってるの。ママと一緒に遊んでただけなのに。
思い返せばいつもそう。いつも、一緒に遊ぶとママは怒る。ママ、酷いよ。
かなしい──。
「あ……ごめんね。でも乱暴はダメなんだよ? ここみ、こっちおいで。ここみ、泣かないで」
ママは手を広げて、今度は私を抱きしめてくれた。でも、ママはおかしいよ。ママは忙しいから、やっぱり私と遊びたくないんだ。
もう! ママなんてやだ! 離して!
「ここみ、暴れないで。ダメなものはダメなんだよ」
ママは私の頭を優しく撫でてくれた。でも、やっぱりママなんてやだ。
「ごめんね。おままごとはしたくなかったかな? 次は何して遊ぼっか」
ママは少しぎこちない笑顔で話しかけてくる。その時、なぜだか心が痛んだ。
私が、悪いのかな。でも、ママのほうがもっと悪い。いやどうなんだろうな。
「ごめんね。もう、泣かないで」
私にはよく分からない。私は泣くしかなかった。
──バタン。
ふと、いつも聞く音に耳を傾けたくなった。
「ただいまー」
「あ、おかえりなさーい」
パパが帰ってきた! その瞬間、ふつふつと湧き上がる嬉しさが、悲しさを吹き飛ばした。
「お、何してたんだーここみ。パパが帰ってきたぞー」
パパはいつも、帰ってくると抱っこをしてくれる。それが世界で一番大好きな時間だ。
「もう、パパが抱っこするとすぐ泣き止むんだから」
「また泣いてたのか? 世話が焼けるな、お前は」
そして、いつもパパは抱っこをすると、私のほっぺに吸い付くようにチューをして、ママにもチューをする。この時間は、世界で一番大嫌いな時間だ。
「ふふ。パパがチューすると、ここみはいつも変な顔するね」
「酷いぞここみ。ママはいつも喜んでくれるのに」
「やめてよ、パパ」
なんだか、パパとママが楽しそうだ。ママはさっきよりも自然に笑っている。
「お、ここみ。なんか面白かったか?」
「ここみ、さっきと大違いじゃない」
すっと、ママは私の頬に手を添える。
「ママ、さっきは強く言いすぎちゃったね。ごめん。ママ、ここみのこと大好きだよ。生まれてきてくれてありがとう」
ママが私に向かって何か呟いた。その時、私も何か言わなければいけない気がした。だいじなこと、たいせつなこと、でもそんなこと、私は分からなかった。
「じゃ、そろそろご飯食べよっか」
「……ママ。何か匂わないか?」
「え……ほんとだ」
二人はゆっくりと私を見ては、軽く微笑んだ。
「ここみ。さては、うんちしたな?」
「そしたら、おむつ替えてからご飯にしよっか」
……ん? お、う、う?
パパは私を下ろし、布団に寝かしてくれた。すると突然、ママは私の服のボタンを外し始めた。
もしかして、おむつ……。
「イヤアアアアアアアアアアアア!!!!!」
◆長月龍誠は「カクヨム」を中心に活動しています。「カクヨム」ではnoteで投稿してない作品も見られるので、気になった方はチェックしてみてください!
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