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【予防よりも対策】

博心堂鍼灸院の、いんちょです。

僕は患者さんに「だめっ!」ということをいいません。

時々患者さんから「これ、やっちゃだめですよね」とか「やっぱり具合が悪いのって、こんな不摂生やっちゃったからですかねぇ」なんてことを聞かれます。

・お酒
・夜更かし
・過食
・暴飲暴食
・薄着
・運動不足
・朝寝坊
などなど。

ほかにも「わたし、これやっちゃだめよねぇ」という話題には、
・人への恨み
・グチ
・よろしからぬ人間関係(不倫とか)
・人への腹いせ
などなど。

カラダのことも、ココロのことも、人間関係や倫理観のことも、とくに僕の価値観を押し付けるような「それやっちゃだめ」ということは、これからも言うことないんじゃないのかなぁ。


僕は鍼灸学生の時、易占を同時に学んでいました。

易を立てるときによりどころとなる書物に「易経」という「10冊一組(十翼)」の易を支える(伝説では孔子が書いたといわれる)書物をよく読んでいました。

伝説では「十翼」という易を解説する10種類の切り口からなる書物の根本には、儒教の教えがちりばめられています。

だから、人の道や人の体の健康的な過ごし方などについては、自然なものの道理だけではなく、道徳というやつも併せて学びに組み込んでいきました。


ところが、鍼灸院を開業してみて、よりよく生きる、ということであったり、無病息災で毎日を過ごす、なんていうことを、患者さんたちに伝えるわけですが、これがどうにも「面白く」伝わらない。

今振り返ってみれば、少々説教臭いところがあったのでしょうね。

若造が上から目線で、病気や不調の予防法を語ったり、頼まれもしない道徳的な生き方みたいなものを話してみたり。


一時期、妊婦さんの安産のための鍼施術を中心に行っているときがありました。

安産のためとばかりに、妊婦さんたちは一生懸命、自分の足にお灸をしたり、がんばって歩いたり、食事量をコントロールしたりと、涙ぐましい努力をしておられました。

僕の妻もこの時期に二人の娘たちを生んでくれていたのですが、僕の妻に限っては、そんなストイックな妊娠生活を送っていない。

なぜなら、毎日ぼくが鍼施術をして、体調管理をしていたから。

おかげさまで、体の小さい妻ですが、元気な女の子を助産師さんたちに褒められるようなお産で、2回とも過ごすことができました。


自分の家族の妊娠出産を経験しながら、かたや他所のおうちのご妊娠ご出産にも鍼灸師としてかかわらせていただいていた。

この時期、妊婦さんや産後のママたちから「病院でこんな風に注意された」とか「保健所で生まれた子供のこと、こんな風に脅かされた」という不安がる声を聴く機会が増えました。

我が家にも赤ちゃんがいたので、話題が丁度かなったからなのでしょうね。


「僕以外に、予防や教育を強く押し付ける人たちが、世の中の役割の中ではたくさんいるのだなぁ」

そんなことに気が付いてから、ぼくは「やっちゃだめ」と「あーしなさい、こーしなさい」ということは、一切言わなくなりました。

だって、「ダメ」と「あーしろ、こーしろ」は、テレビ見ていても言われていること。
あえて僕が言うこともないでしょ。

それよりも、「わかっちゃいるけど、できないんだよねぇ」という人たちの受け皿のほうが、必要だかなぁと。


そんなわけで、僕のスタンスはこの時期あたりで、「予防を薦める」というような知識のひけらかしをすることをやめて、「やっちまった」というときの駆け込み寺のような対策で役に立てることができればいいという立ち位置へと変わっていきました。


季節が来れば宴会が続いて、食べすぎや飲みすぎを訴えて鍼施術を受けに来られる人たちがいます。
後悔の念というやつを口にしながら鍼施術を受けていかれる。
「なっちゃったんだから、こんな風に対策したらいいんじゃないですか?」と僕の方からは、気休めも含めた対策をアドバイス。


何かといわれっぱなしで、押し付けられることの多い、カラダの予防やココロの予防。

「わかっちゃいるけど、できないんだよね」というひとの受け皿として、僕の鍼施術やおしゃべりが、そこそこ役に立てばいいのかなぁなんて、今ではすっかり割り切った取り組みをさせていただいておりまする。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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