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【自己肯定感という感覚】

博心堂鍼灸院のいんちょです。

自己肯定感を持つのは良いそうです。
でも、自己否定感もとても大事な感覚です。

一見どちらも心理的なことかなぁと思うのですが、最後に「感」っていう文字が入ると、やっぱり身体感覚的なことなのだろうなぁと、鍼灸師という仕事をしていると、そこにミョーに引っかかってみたくなる。


自己肯定感っていうのは、そもそもなんだろう。
自分のことを「いいねぇ!」って肯定する感覚。
ふむ、そうすると自己肯定感を体に置き換えてみれば、カラダに自信がみなぎっているっていう感じになるのかな。
不安がなく、充実感があるってことだよね。
そう考えると、自己肯定感を保てたら、人生最高って感じになるのかも。


さてさて、そんな人生最高な体を中心に見る自己肯定感って、ほんとに保ち続けることなんてできるのだろうか。

そこで必要なのが、自己否定感。
体を中心に見てみれば、この自己否定感って、意外と日常的なもの。
・体が痛い
・体がつらい
・体がだるい
・体の心地が悪い
などなど。

・なんで自分の体がこんなに不調なんだ
・自分の体が言うことを聞いてくれない
・自分の体が信じられない
なんていうカラダへの不信が、きっと自己否定感の根っこになるんじゃないのかな。

こんなカラダのちっちゃな不調なんて、人はみんないつも抱えているものなのかも。
あるいは、ちっちゃな体の不調が気になる人というのは、情熱を傾けている機会が少ないのかもしれないね。

好きなことや夢中になれることに携わっているとき、人は少々の体調不良のことなんて気にならない。
もともと体調が悪い人は、情熱を傾けることに負担を感じるかもしれないけど、日常生活をフツーに過ごせちゃっている人たちにとってみれば、体調不良を探す暇がないくらいの充実した生活をしていることができれば、自己否定感というやつを抱くことはなくて済むんじゃないのかな、なんていう風に思います。
鍼灸師さん目線で、カラダを中心に視点を置くとね。


どちらも感覚ですから失うことなんてできません。
でも、感覚ですからフォーカスすることは適います。
要するに、自己肯定感や自己否定感なんて言う、自分のことに目を向ける視点を外して、目の前のことに意識を集中できるように過ごすことができれば、自らの体を感覚することからは離れられるからね。


ひとまず息しているってだけで、カラダは大したもんだと思います。
自分の体のことを実感することも必要だけど、大きな不安がないのなら、まずは体を信じて、自己を信じて肯定も否定も上手に遊んであげていたらいいんじゃないかな。
僕という鍼灸師さんの実感を込めて。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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