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間違う


また、土曜日に上げてるシリーズの番外編みたいな話を書いちゃうけど、私は今、初めて編む模様に苦戦を繰り返しています。

ハニカム模様

アラン模様の一種で、市販のセーターなんかでもこの模様があしらわれてるものは多いと思います。

アラン模様には、それぞれ模様に意味が込められており、このハニカム模様は蜂の巣を模した子孫繁栄の意味や、漁業の編みを広げた様子から仕事の報酬を願う意味などを含んでいる模様です。



私は、この模様を編むのが初めてなのですが、ネットで見た写真から、
『多分、こうやって模様を作るんだろうな?』
という感じで、教本などを見ずに勘で模様を作ってみているので、何度も何度も編み間違え、ほどいては編み直し、ほどいては編み直しを繰り返しています。

この写真も一部間違ってますねorzまた、やり直しですorz



ですが、これは

『違う段で模様を捻ると、違う模様に仕上がるということを学んだだけである。』

とも言えるのです。

『違う模様の編み方を発見しただけ!』

とも言えるということです。



多分、私は普段
『正解はこれしかない!』
という狭い合格ラインに縛られているから、
『失敗してしまった…orz』
と凹んでしまうだけで、別に、思ってた形に仕上がらなかったとき
『なるほど、こんな風に編めば、違う形に仕上がるんだな。発見できて良かった!』
という視点になれれば、間違えたことにいちいち落ち込まなくて済むようになるんでしょうね。



前からよく書いてきましたが、私は完璧主義を止める必要って無いと思うんですよ。

その完璧主義を発揮する場面を選ぶことは大事だとも思うんですけど、自分が納得できるものを追究することって、悪いことじゃないと考えてる派です。

だけど、この、
『間違えたorz』
『失敗したorz』
と、いちいち過去の自分を責める視点になってしまう癖は本気で治すべきだと思うんですよ。

それがなかなか治らなくて、ちょっとモヤモヤしちゃうんです。



他にも、過去の自分の行動に対して、
『あのとき、あぁしなければ良かった…。』
『あのとき、もっとこうするべきだった…。』
と、後悔とはちょっと違う、自分の過去の選択に対して叱責するような視点で見てしまうところが私にはあるのですが、

『その叱責する自分を止めなければいけないよな。』

って、やっと強く考え始めました。

『過去の私は、間違えたんじゃなくて、異なる方法を知っただけ、学んだだけ。新しいことを知ることができた自分を褒めてあげないと!』
って、やっと叱責を止める決意が固まってきました。

「世の中に失敗なんて無いんだよ。」
って何回も書いておきながら、やっとです!



結局、【世間から見た正解】からはみ出すのが怖いから、【世間から見た正解に当てはまってない解】を認めることができない、臆病風の所業なんですよ。

世間がどうであれ、自分だけは自分を認めてあげないといけないのに、叱責を止めるのが怖いんです。

これもいつも書いてきた、遺伝子に残ってる
[孤独=死]
というプログラミングの変化球ですね。

遺伝子なんかに負けてたまるか!



きっと、
『凄いじゃん!違うやり方見付けたね!発見して偉い!』
って、自分に対してナチュラルに言えるようになったとき、もっと自分の世界を拡張できる自分になるんだと思います。

間違った認識を早く正して、もっと自由な私になれますように。

目指せ、自分への全肯定!



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