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20数年前のインターネット上で

最近、インターネット上で辛辣な言葉を受け、尊い命が失われる事を、とても辛く感じてしまうこの頃です。最近のニュースを見て、ふと自分自身が昔、インターネット上でアンチコメントを受けた時の事を思い出しました。

20数年前、Windows 95が発売され、56Kbpsモデムがやっと発売された中、型落ちの28,800bpsモデムでインターネットをしていた頃、私はWebサイトではなくNetNewsが色々な情報源となっていました。NetNewsは掲示板のように、不特定多数の方に発信・閲覧できるサービスで、当時はMicrosoft Inrernet Mail & NewsというNetNewsクライアント(兼メーラー)を利用し、公開されているNetNewsをクロールしてデータを取得した上で、オフラインで何時間も閲覧していました。特にITの情報が少ない頃、田舎で最新の情報を得るには、雑誌よりもNetNewsの情報が早く、PCパーツの話やら、Windows 95、Linuxに関する情報やら、中学生から高校生にかけての自分にとっては、知識を得られる事がとても嬉しく感じていました。学校の勉強をするのと同じくらい、ITの情報を得るのは嬉しくて仕方がなかったのです。

ただ、NetNewsには、大学生以上(20歳以上)の大人の方々ばかりで、高校生らしい姿は、都会にいる数名いる位で、元々Nifty-serve(現@nifty)やPC-VAN(現BIGLOBE)が提供する掲示板に慣れた方々が多く、初心者には入りにくい環境でもありました。ただ、初めてPostした後、すぐにReplyがあって、自分もNetNewsで情報交換を重ねていきました。

その後、HTMLを覚えた私は、自分が体験したり、実験してみたPCに関する情報をWebサイトで配信しました。2020年の現代なら、YouTubeの動画で「〜やってみた」的なコンテンツだった訳ですが、おかげさまで月に数千PVのアクセスがあり、当時利用していたプロバイダのJustNetとGeoCitiesで情報を配信していました。

情報の配信が順調に見えた頃、初めてアンチコメントが書かれたメールを受けるようになりました。最初は気にせずにしていましたが、自分より大人の人から辛辣な言葉を受け、自分としては、情報発信をする為の気が失せてしまったのです。

その後、アンチコメントのメールが止まらなくなりました。当時のメールは、アンチコメントのメッセージであってもなくても、すべてのメールを受信しなければなりません。SPAMという考えはありましたが、今ほどは浸透しておらず、SNSのようなブロックはできませんでした。

とうとう気持ちが滅入った私は、Webサイトを閉鎖します。ふとテキストエディタを開き、<html></html>とだけ記入したindex.html(=何も表示されないページ)をWebサーバへアップしたのです。すると、今までアクセスしてくれた方々で、一度連絡を取ったことのある方が、心配してメールをしてくれました。私もアンチコメントが…という返信はせず、高校生である事、勉学が忙しい事、自分の知識では不足である事、という嘘を返信していましたが、アンチコメントを送る方の十数倍も、励ましや再開を希望するメールが届きました。

私はその励ましに救われ、Webサイトを再開しました。
その後、アンチコメントのメールが来る事はなくなりました。

当時の事を思い返すと、気が滅入ったといっても、共にあった気持ちは悔しい思いも強かったのだと思います。とはいえ、自分のしてきた事を否定されるアンチコメントだった為、自分自身を見失いかけました。

一方、大人というのは残虐だなという事も、子供心に知る事ができました。自分から相手の考えを変える事はできない事、相手の考えが変える事ができない事は、その相手が悪い訳ではなく、人それぞれの考えがある事を知りました。そして、相手にその考えについて教えて上げる事は、時と場合によって毒となる事も知りました。アンチコメントを送ってきた人にも、その相手側にとっての意図があったのだ、そう考えられるようになりました。田舎出身の私は、基本的に周囲が強調関係の人間関係があり、相手の意見も受け入れる気質の人が多いのです。その為、意志の強い人は、煙たがられる傾向にあります。自分は、自分自身の生活環境ではなく、ネット上から、人としての生き方を教えられました。

もし、先に記載したWebサイトを閉鎖しても、誰も連絡がなかったら、こういった考えにはならなかったのかもしれません。アンチコメントに溺れて、気が滅入ったまま、落ち込んでいたかもしれません。その当時こそ、自分の生命について言いつけられる事はありませんでしたが、自分のしてきた事を否定されるのは、本当に辛い事だと感じました。

ネットから離れても、恥でもないし、問題がでる事もありません。一旦、落ち着く時間、冷静になる時間、一方的な口撃から回避する時間があれば、立ち直れると思います。

私は見たくない情報を遠慮なくブロックしています。そうする事で、出会いたくない考え方を持つ方が発信する情報に、出会う可能性が低くなります。各種SNS(プラットフォーム)側が完全に守れるのは難しいと思いますし、利用者の完全な趣味嗜好に沿ったブロックは難しいはずです。一般的立ち位置で問題と思われる可能性が高い発言だけはブロックされるかもしれませんが、その網は個人の思考ほど細かくないはずです(ブロックする網が細かすぎるとサービスとして成立しなくなります)。

StayHomeでネットに触れる時間が増えた今、自分自身が活用できる、楽しめるネットの環境とは何か、考える時間を持ってみては如何でしょうか?

何かお役に立てたようでしたら幸いです。