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ぼくの叔父さんの話

ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」の話ではないのだけど、
今日はぼくの叔父さん(母の弟)の誕生日だ。
しーちゃんという。
しーちゃんはぼくにマーシャルの入門用ギターを贈ってくれた。
クリスマスの朝玄関に置いてあったマーシャルのでかい箱には、
SSHのストラトタイプの黒いギター、Marshallのロゴが入った15wのアンプ。
その他シールドやチューナー、替え弦など入っていた(はず)。
その日のうちに母が、スタンドがないと言って買いに行ってくれたのを覚えている。チューナーももしかしたその時買ってくれてのかも知れない。
なぜ自分で行かなかったのかが思い出せないのだが、
その辺に立てかけておけばいいじゃんと反抗的に言ったのは鮮明に覚えている。ギターがうちに来て、しかも初日で、こちとらワクワクして仕方ないのに、ギタースタンドがないくらいで騒がれたくなかったし今でも同じことを言う。きっと一緒にお布団に入って抱いて寝る。

そもそも当時から、特に人目がなければ身の回りのあり物で済ませて満足する人間だった。例えば木を使った工作で、提出の前夜に作っていて、もう替えがないのに木棒の長さを間違えてカットしてしまった。
あと1cm足りない、困った。
そんな時、コンクリートの型枠の要領で木工用ボンドを流し込む型を作り、
木棒にボンドで長さを継ぎ足して、それを提出した。
実はその課題は木工でもなんでもなく、
建築のスケッチの課題だったのだが、
日本建築の課題だったのでスケッチの上に可動式の木格子を乗せて、
襖のように開けるとスケッチが見れるという作品にしたのだ。
こんなことする奴は誰もいないだろうから、
とにかく成立してればいいかと思って不完全ながら提出することができた。
優秀作品はみんなの前で発表されるんだけど、
ぼくの渾身の木工は箸にも棒にも引っ掛からなかった。
後で先生に見せに行って、これなんでダメだったんですかときくと、
「目は引くけど、作品が汚いかな…」
汚いって言われてしまった。
この時から人に出すためのモノは小綺麗に作るようになった。
でも自分のパーソナルな思いで作ったり、
自分の納得のいくモノを作りたい時は、小綺麗を目指さない。
つぎはぎだらけで、直して直して、その痕跡が残っているものがかわいい。
それを綺麗に清書して売り物に変えるのは自分じゃなくてもできるから。

話は戻るけど、
母は叔父さんを親類の中で唯一まともな人間だと思って大事にしている。
だからしーちゃんからせっかくいただいたギターは大切に扱って欲しかったのだろう。
とても大切にしたし、とても弾いた。

しーちゃんには、中井設計マグカップを贈った。

こうやってリンクを貼ってみるとアフィリエイト感がして面白い。
しーちゃんへのプレゼントは中々難しい。
いつもお煎餅とかお花とかを送っていたが、
今回はあの入門用ギターから20年、
アーティストグッズが届くのだから、
かなりスペシャルなプレゼントとなったのではないか。
ちなみに送る用の段ボールは部屋に転がっていたもので、
使い回しでビリビリになっているものに、
100均でガムテープを買ってその場で梱包してコンビニで宅急便した。
大人になっても、雑さが変わらない。

ヴァイオリンを習っていた時も、
いつだったか覚えていないが仮に10歳くらいの時として、
「中井くんはアバウトなのよねえ、アバウトってわかる?
まだ英語やってない?あぁそう、もっと譜面通りにというか、
正確にというか」と指導されていた。
大体弾けてるし良くない?と思っていたけど、
そういえばヴァイオリニストにしてくださいと親が頭を下げていたし、
大体弾けてれば良いわけではなかったのだ。
つい最近もL'Arc〜en〜Cielのコピーバンドでドラムを叩いたのだけど、
sakuraさん、yukihiroさんのフレーズをコピーするのが難しく、
スタジオで合奏が成立して楽しければ良いだろうという気持ちで臨んだら、
他三人の高い演奏力の中で中井の稚拙なドラムが浮く事態となってしまい、
いつかコピーでライブやるとなったら考え方変えなきゃダメかもねぇ、
なんて言われてしまったことがある。
それは自分でも本当に心からそう思う。
ある程度習得したギターで軽い気持ちでスタジオは入って良いけど、
未熟なドラムで軽い気持ちでスタジオ入ると冷たい空気になってしまう。
他にやることあるのに、それに集中できなくて、
ちょっと知見を広めようって気持ちでドラムに手を出してもそこまで本気で練習できてなくて、とても中途半端になってしまった。

叔父さんの話をするつもりが、
雑な性格の話になってしまった。
でももっと雑な性格の話をしたい。
本当は細かいことを気にして良いなら塵の1ミクロンまでこだわりたい。
正確に、嘘がなく、論理立てて、正しいピッチで、やりたい。
でもそれでは生きていけないと中学の時に悟って、
まずは大枠を作るというか、
細かいことは後回しにすることを覚えてしまった。
こだわりたいなんて言っているけれど、
丁寧にやるってとても体力を使う。
これを書いているデスクを一目見ても、
散らかったこの卓上のどこにこだわりがあるというのか。
腰が重い。やりたくない。
本当は向いていないのかも知れない。

今日は新しいお花を机に飾ろうと思ったが、
花屋の店先では店員さんも忙しく、
ぼくも両手が塞がっていて、
めんどくさくなって帰ってきてしまった。

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