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【旅の記憶】ミケランジェロの筋肉

ウフィッツィ美術館の話は以前に書いたのだけど、フィレンツェでは他にも美術館を訪れている。

アカデミア美術館へはクリスマス・イヴの朝に出かけた。
ここは泊まっていた場所からドゥオーモ方面へ向かう途中で毎日のように横を通っていた。
ウフィッツィに比べるとずっとこぢんまりとして外観もさして特徴がなく、
最初は横を通っても何の建物かわからなかったぐらいだ。
こちらの目玉、というよりフィレンツェの目玉と言ってもいいが、は何と言ってもダヴィデ像。
市庁舎前のダヴィデ、町を見渡せる高台、その名もミケランジェロ広場のダヴィデ(銅製)、と、この街には幾つかのダヴィデ像が存在するが
これらの大元、オリジナルのダヴィデが展示されているのが、この美術館である。
16世紀初めにフィレンツェ市の依頼により正義のシンボルとして制作されたものだそうだ。
室内で観るとこれがとにかくでかい(5.16m)。
屋外にあるレプリカよりずっと巨大に思える。そして360度ぐるりと一巡りできるので、
ダヴィデの背中(肩にかけた投石用の布がちゃんと垂れ下がっている)まできっちり眺められる。

いやしかしミケランジェロの筋肉の表現は尋常ではない。
どれだけ観察し、どれだけ彫る練習をしたらこんな張りつめた緊張感が出せるのか。

それにしてもここは撮影禁止なのだが、隙あらばカメラ・携帯を構える各国の観光客は後を絶たない。
ここの持ち場のスタッフはうんざりしているだろう。
私は以前、別の場所で周りが写真を撮っているのを見て撮影OKと勘違いして注意される、
という悲しい経験をしているので、ただただダヴィデを眼に焼き付けた。

そしてそのダヴィデに続く通路に控えるごとく、ミケランジェロ作製の四体の未完の石像が設置されている。
実は以前からこれを見てみたかった。
私にとってとても大切な旅行記、『深夜特急』(沢木耕太郎著)にはヨーロッパに入ってからのページはそれほど多くないが
(何と言ってもアジア旅行者のバイブルだ)、
沢木氏がフィレンツェで、入るつもりのなかったアカデミア美術館に雨宿りのために入り、
ダヴィデよりもこの未完の石の塊に感銘を受ける様が、本の中で印象的に描かれている。
それを自分ならどのように感じるかと興味深かったのだ。
これらは法王ユリウス二世の墓碑のために作られかけたが、
計画が大幅に縮小され、途中で放棄されたものであるという。
『目覚める奴隷』、『髭面の奴隷』、『若き奴隷』、『アトラス』と名づけられたそれらは、
一部はすでにある程度掘り出されて腕や腹の筋肉を形作り、しかし手足の先や顔などはまだ石の塊のまま、
掘り出された部分もまだ粗削りという状態だ。
その様は異様と言ってよく、何だか息苦しくなるような見た目だった。
『深夜特急』の沢木氏は、これをまるで石に閉じ込められた人間を解放する途中のようだと形容していた。
私にも、人の形は元からあって、それを掘り出す途中のように確かに見えた(もちろん先に沢木さんの記述を読んでいるのが大きいのだけど)。
だから息苦しいような気持ちになるのだろう。
それだけ形を成した部分がリアルだということでもある。
完成品よりもよほど生々しく迫ってくる、不思議な物体と私の眼には映った。

この美術館でもダヴィデ以外は膨大な量の宗教画、と言うべき事態に圧倒される。
2階の入口にたった1枚、17世紀半ばのフィレンツェの市場の様子を描いた風景画があり、なんだかものすごくほっとした。
それほどメジャーな作品ではなさそうだったけれど、
これまであまりにメッセージの詰まった絵ばかり観ていたためか、ふうっと息を吐くぐらいだった。

フィレンツェのヒーローとの対面を済ませ、外へ出ると青空が広がっている。
これまで、ずっと曇り空が続いていた。
私は旅先で写真を撮るのを楽しみにしているのだが、やっぱり青空をバックにした街並みが好きだ。
これは今日の午後は、高いところへ上るのが、いいかもしれない。
そんなことを考えながら、アカデミア美術館を後にした。

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