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【書評】『cineres』真中朋久歌集

来し方も行く末もあるはおそろしく泡だちて寄せる水を見てゐつ

過去も未来もあることが怖いという。
主体は何に怯えているのだろうか。
過去がたくさんあるということは、歳を重ねて責任など重いものを
抱えて生きていくということにもなるだろう。
未来はどうか。行く末があることは明るいことのように思える。
でも、この先どうなるかなどわからない。
わからないのが恐ろしいのかもしれない。
泡立って寄せる水は、海かもしれないし、もっと小さな流れかもしれない。
ただそれをじっと見つめている主体の横顔が浮かぶ。

奉公のはてにわたくしを失ひしにあらずただにおのれ殺しき

共有したきことにあらねど洩らしたるいささか 徹底的に否まれつ

おほかたは指示のとほりといひながらこのたびもいふとほりにせざりき

われはわがいちにんを生きるにあらざれば朝夕あしたゆふべに顔をぬぐへり

「あらず」「あらねど」「せざり」といった否定の言葉を使って
確定的なことは言葉にせず、読者に問いかけてくる歌が、多くある。

1首目、企業で働くことを「奉公」と言っているのだと取った。
会社で働きづくめで自分というものを見失ったのではなく、自分で自分を抹殺したのだという。
受け身で責任逃れの言い方ではなく、今の自分の在り様に責任を持つ、重い一首だ。
2首目、とても微妙な心理状態を表す。
気持ちを共有してほしいとは思っていなかったことだが、ちょっと相手に話してみたら徹底的に否定されてしまった。
やはり言わないで胸にしまっておけばよかったのだ。
3首目は少し滑稽で「大体指示通りにやりました」と言いつつ
強い意志を持って「言う通りにしなかった」ことがとてもよく伝わってくる歌だ。
何が何でも100%言われたとおりにはしたくないのだろう。
4首目はの上句「私は私一人を生きているのではない」という上句をどう読んだらよいだろうか。
下句があまりハッピーな詠い方ではないように思えるので
これもまた社会的責任、自分がいないと仕事が回らなくて困る人が出てくる、というようなことかもしれない。
もしくは、先祖から続いている命、というような読みもできるだろう。

歌に賭けたるにあらず縋りしにもあらずましてしたがはず

たましひとことばはひとつのものなるをコトバ派といふ分類あはれ

虚構だからそれは と言はれしわが歌は紙のうへのインク縦に一列

テキストと人格は別といふやうななまぬるいかんがへにすがるな

短歌や創作に直接言及した歌も多く、強く心に迫る。
1首目は再び否定形の歌。そして作者の短歌への取り組み方を述べた歌でもある。
短歌に賭けてもいない。縋ってもいない。ましてや命を投げ出してもいない。
そのことを後ろめたく思っているのではなく、短歌に対するこのスタンスを、主体はあえて取っているのだろう。
短歌がすべてではない。
その距離の取り方が、主体にはちょうどよく、それ以上近づくとバランスが崩れるのかもしれない。
2首目、短歌はよく「人生派」「言葉派」と便宜上分けて語られるが、
主体はその分け方に強い違和感を抱いているようだ。
3首目、すべての短歌は印刷された一行のインクという意味ではすべて虚構。
では、一体何をもって「これは虚構、これは真実」と分けられるのか、と思う主体。
4首目、短歌というテキストは作者自身ではない、という論があり、
私自身もまったくイコールではないと思うものの、
主体は「テキストと人格は別だから」という考え方を一種の「逃げ」のように感じているのではないか。
下句はすべてひらがなに開かれており、一見穏やかに見えるが、
その実、その言葉は非常に切っ先が鋭い。

耳とほき講師にみたび質問をしつつ何を聞きたいのかわからなくなりぬ

書かんとしてこのたびもまた乾きゐる万年筆の万年阿呆

役に立たぬ機能加へて故障多き製品を売りし者らは滅べ

ぢぢいだまつてをれとのたまふその男もとほからずぢぢいのひとり

わがまへの微小気塊の拡散は秒刻ののち鼻腔はなを刺激す

鋭い批評的な歌がある一方、
低い声で発せられるユーモアの歌がすこぶる素敵である。

5首目、わざわざ解説をするのもなんだが、おならであろう。
(と言うかこの一連のテーマがおならである)
それをかくも大仰に述べているところが、とてもユーモラスだ。

睡蓮の池ほのぼのと塗り残す四囲は記憶の余白のごとし

支線あまた張りかはしつつあるところむすびめの玉碍子光れる

スクリーントーンも定規も使はざる描線が街をめざめさせたり

他にも印象に残った歌はたくさんある。
2首目はブラタモリでタモリさんが玉碍子について熱く語っていて、
それから私も電線の玉碍子が気になるようになったため
「おお、あの玉碍子」と勝手に嬉しくなったものだ。

シャープな書影も歌集の内容にとても合っている。
歌集タイトルの『cineres』はラテン語で「灰」のことだという。

良い風 と思つて目をとぢてゐるうちにみんなどこかに行つてしまつた

声高になることなく、しかし心の奥には強い主張を感じる歌集である。

                       (2023/6 六花書林)

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